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あの日の記憶・メモ Archive

富士の湧水の美しさ忍野八海(1994年)・・・・・・あの日の記憶・メモ。筑静会新役員会

★会長&議長の筑静会新役員会

民謡稽古の会(筑静会)の新役員会があった。
僕は会長になってしまったので、
今日のような会議の場合は議長をやらなければならない。

早口、そそっかしい、落ち着きがない・・・・・・、
およそ会長とか議長とかからは縁遠い人(材)なのに、
会員の高齢化、減少化で順番が回ってきてしまったわけなのだ。

今日は総会に向けての議案書作り。
これから失敗談や愚痴など掲載することにならぬよう祈るばかりだ。

      ☆

★何度でも行きたい忍野八海(1994年)・・・・・・あの日の記憶・メモ

忍野八海には3回行っているが、
始めて訪れたのは1994年のことだ。

湧水のあまりの透明感(度)、美しさに感動した。
2度目、3度目に見た時も同じ。

3度目は多くの中国人観光客に溢れていた。
僕の何度でも行きたい場所の一つだ。

スキャン_20180510 (2) - コピー
修正を加えていないプリントしたままの色。
水面(湖面)に移った人影の真ん中にカメラを持った僕が映っている。

1998年の大雪の日は娘の成人式だった・・・・・・あの日の記憶

18.1.22 雪景色 (13)
午後2時、我が家のベランダから下を覗いた。

★3枚の雪の日の記憶写真

昼前から降り始めた雪は結局大雪となった。
どうやら夜半頃までは降り続くらしい。

     *

沢山のフェイスブック友達が
雪の便り(投稿)を寄せてしていた。

景色が白一色になるように
心もひとつに・・・・・・そんなわけないか。

      *

大雪が降ると必ず思い浮かべる記憶がある。
1998年の大雪の日の成人式だ。

この日、娘の成人式。
朝、美容院へ送り迎え。

成人式会場は大宮駅前のソニックシティ。
15センチくらいは積もっていたように思う。

移動が出来ないため神社へお参りにも行けず、
写真もろくに撮れず。

せっかく振袖を着たのに・・・・・・の記憶なのだ。

      *

サラリーマン時代、北海道、仙台で冬を越した経験がある。
それは僕の生涯の中で雪と最も近い時期だったともいえよう。

雪を見に、寒さ体験にとあちらこちらと出かけた。
雪の中のジョギング、歩くスキーもやったことがある。

雪の記憶を呼び戻そうと
昔の写真を探そうと段ボール箱を漁(あさ)ったがひと箱目で面倒になってしまった。

で、結局3枚。
そのうちの1枚は娘の成人式の時のもの。
その他はおりおりの機会に・・・・・・。

スキャン_20180122
1998年の娘の成人式にて。会場のソニックシティに向かうところ。
②スキャン_20180122
2000年。最上川沿いをバスで移動中の対岸風景。
①スキャン_20180122
仙台近郊の泉ヶ岳。夏はハイク、冬は歩くスキーの練習に何度も足を運んだ。

1回きりの投網体験・・・・・・1978年かそれ以前。10㎏はある花キャベツの鉢植え

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工房館前を流れる見沼用水も今朝は凍っていた。
CIMG7879_20180115211251a93.jpg
今日のモチーフ。各自選んで好きなのを描けばよい。
左の鉢植えの花キャベツは先生が自転車で自宅から運んできた。

★10㎏はある鉢植えの花キャベツ

今年、最初の絵画教室。
午前9時、大宮工房館に全員が元気に顔をそろえた。

      *

先生がモチーフにと鉢植えの花キャベツ(葉牡丹)を運んできた。
僕が先日描いた花キャベツのバックの修正用にとのことなのだ。

この鉢が重い。
10㎏はある。

先生はこれを自転車に積んで自宅から運んできた。
恐縮してしまうのだが、
それにしても先生は元気。

      ☆

スキャン_20180110
1978年かそれ以前の1回きりの投網体験。

※カテゴリー"あの日の記憶・メモ"とは古い昔の思い出の掲載。
溜まった写真・データを掘り起こすのは年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつ。
このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

★なるべく遠くへ・・・・・・あの日の記憶・メモ(1978年かそれ以前)

投網の体験はこの一回きりだ。
場所は渡良瀬川。

いつ頃の写真なのか撮影者に確認したのだが、
よく分からなかった。

ただ、1978年かそれ以前ということだけははっきりしている。
いずれにせよ50年かそれ以上前の話(写真)。

      *

投網をなるべく遠くへ、
大きな円を描くように投げるのは難しい。
簡単にできそうでなかなかどうして・・・・・・なのだ。

この時も何度か失敗して、
やっとこさ上手く投げられた。
貴重な一枚なのだ。

豪州一の巨大個人住宅(1990年頃)・・・・・・あの日の記憶・メモ

★一日の反省時間

郵便局へ失敗した15枚の年賀はがきなどを交換に行ったら、
窓口のお姉さんに「お急ぎでなければお年玉くじの発表後に・・・・・」
を勧められた。

そのまま図書館へ本の返却に行ったら今日は代替え休館。

      *

散歩に出れば良かったとか、
キャンバスに向かえばよかったとか、
手紙を書く時間があったのにとか、
本だって読めただろうとか・・・・・・・。

夕方になると一日の反省時間になる。
一日が経つのは本当に早い。

      ☆

スキャン_20180105
豪州(オーストラリア)一の巨大個人住宅(1990年頃)。

★ホテルと見まごうほど

27、8年前頃に行ったゴールドコースト(豪州)。
運河クルーズ観光を楽しんだ時のショットだ。

運河沿いはどこも大きな家と広い庭。
わけてもこの家は個人住宅では(当時)豪州一と案内された。
(世界一だったかも?)

何平米かは覚えていないが
ホテルと見まごうほど大きい。

      *

町の大きなお土産屋さんに入った。
そこに知っている女性がいた。

仕事を依頼していた編集プロダクションのかわいい子。
ワーキングホリデーで3か月前から滞在しているのだとか。

僕は見栄を張って、
彼女がケースから出してくれた最も高いオパールを買った。

仕事のことはすっかり忘れているが、
そんなことはよく覚えている。


お墓の墓場・・・・・・1997年(宮城県根白石)

スキャン_20171009 (2)
この"お墓の墓場(多分)"は1997年に撮影した(宮城県・根白石にて)。

★イメージでは何十万個の墓石が・・・・・・・

お墓の墓場。

先日、テレビで” お墓の墓場”を紹介していた。
山の中に数万のお墓が並べられている。

全国から不要になり破棄されるお墓が相当数ある。
砕石されて砂利として使用されるものがほとんどらしいのだが、
中に供養としてお墓の墓場に収める。

その数は5000柱にのぼり、
このところ年を追うごとに増えつつあるのだとか。

      *

その頃、あちらこちらの寺を見て回って気づいたことは、
どこのお寺も不要になったお墓の処置に困っているようであった。

そして僕は知り合いのお寺の住職に聞いたのだ。
ゴロー××「どこのお寺も不要の墓石の処理に困っているようですが、
これらを回収する商売がったら利用しますか?」
住職××「しますよ。どこの寺も同じでしょう」

      *

当時、僕は定年後の仕事としてどうだろうかなどと、
真剣に(それほどでもないが)考えていたのだ。

水子地蔵のお寺が秩父にあって、
数万の子供のお地蔵さんが山肌にぎっしりと並び、
同じ数のピンクの風車が回っている。

その壮観な風景が人の心を打つ。
僕はそれを見て思いついたのが"お墓の墓場"だった。

       *

テレビで紹介していた"お墓の墓場"は僕の考えたものにやや近い。
ただ、僕のイメージでは山の頂まで何十万個の墓石が・・・・・・・だった。

まァ、それでも20年後に
実現していた"お墓の墓場"を見たわけだ。

夢の島埋め立て現場へ・・・・・・1950年代の幻

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監督、作業員、そして我々を載せたダルマ舟は塩浜へ帰る。

★あの監督の野郎を・・・・・

あれはいつ頃のことだったか?
僕がまだ高校2年生か3年生の頃だ。
塩浜からダルマ舟に乗った。

同船していたのは作業服を着た男たち。
現場監督らしい背広を着た若い男。

そして家の職人。
と言っても兄2人と僕のことだが。

現場監督は大手建設会社の社員、
男たちは下請け中堅建設会社の作業員、
そして建設会社から直接仕事を頼まれていた我が家(××商店)。

舟は夢の島へ向かう。
夢の島とは東京都民が毎日排出するごみの集積場(捨て場)だ。

まだ、ごみ焼却場が皆無に近いころで、
大半のごみが東京湾(夢の島)に捨てられていた。

その夢の島が満杯になったので、
上から土をかぶせで埋め立てる仕事が出来た。

大手建設会社は、
まず夢の島にとりあえず仮作業場を作ることにした。

仮作業場と言っても、道具や荷物を置いたり、
作業員を休ませるための掘っ立て小屋だ。

××商店はその掘っ立て小屋にトタンを張る仕事を
大手建設会社から頼まれたのだ。

      *

ダルマ舟は30分かあるいは小1時間も乗ったろうか。
夢の島の端に着けられ我々は下りた。

周囲をコンクリート?で囲われた広大な島はあと少しを残して満杯となる。
残されたスペースには水が溜まっていて池のようになっていた。

作業員の一人が「ハゼがいくらでも釣れるんだ」と言った。
それが水たまりでなのか囲いの外の海でなのかは定かでない。

ゴミの臭いはあまり気にならなかったが、
ハエがすごかった。
とにかくハエだらけだった。

      *

昼になって弁当を広げた。
すぐにハエが弁当に群がる。

一匹や2匹ではない。
数十匹のハエだ。

それを手で追い払い、その瞬間に箸でご飯をつまむ。
弁当を食べ終わるまでに何回となくそれを繰り返さねければならなかった。

      *

やがて夕方近くなり作業を終える時間となった。、
監督、作業員、そして我々を載せたダルマ舟は塩浜へ帰る。

その時、船着き場に集まった作業員たちの話し声が聞こえた。
「この仕事が終わったら、あの監督の野郎を海の中へ放り込むんだ」

断片的にか思い出せない幻のような記憶である。

※ウキペディアより=1950年代、東京都内でごみが急増し始め、
それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、
1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。
(夢の島 - 14号埋立地(江東区)(1957年~1967年埋め立て)

      *

※ゴローの記憶遺産"について
何のことはない、古い昔の思い出の掲載だ。
写真はプリントからとデータからのがある。
モチ、プリントはデータより古く20年前以前のもの。
写真も思い出話も押し付けるようで迷惑だとは思う。
しかし、溜まった写真・データを掘り起こすのは
年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつなのだ。
なくべく厳選し、面白い内容にしたい。
さらに、このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

ボートピープルの隔離施設・・・・・・・1980年頃の記憶。魚三昧

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コース途中に見えたのはボートピープルの隔離施設だった(1980年頃)。

★異様な光景が・・・・

中国、広東省の大連が経済特区に指定されたのが1979年こと。
この頃から中国は驚異的な経済発展を遂げる。

香港が中国に返還された1997年よりさらに20年近くも前のことだ。

      *

香港ー大連国際マラソンの第1回目大会が開催されたのもその頃だ。
僕はその大会に(仕事で)カメラを持って参加した。

途中、右側下方に異様な光景が・・・・。
見えたのはボートピープルの隔離施設だった。

※ボートピープルとは  ↓
参考①=ウキペディアより一部抜粋 
・・・・・・・1979年7月、香港が無条件で難民を受け入れる「第一収容港」となってから、
ベトナムのボートピープルは、圧倒的に香港に向かうようになった。香港では、最終
的に20万人以上が受け入れられ、難民は20年以上に渡って、香港の深刻な社会問
題(越南船民問題)となった。経済的負担や犯罪の増加、難民による暴動などが、香
港人にとって大きなマイナスとなったが、香港政府は始終温和な・・・・・・・

参考②=香港のボートピープルに関するブログ
ボートピープルは香港をめざした | MoonbeamsMagazine056

参考③=香港のボートピープルに関するブログ
難民についてのあれこれ 4 <経済難民>
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20150623/1434996596

      ☆

17.6.30 かわはぎの煮つけ  (9)
真ん中の皿がカワハギの煮つけ。

★魚三昧

今日の夕食のおかずは魚三昧。
①カワハギの煮つけ
②タナゴの焼き魚
③カツオの刺身(たたき)

どれも旨かった。

どっちがゴロー?・・・・・・ゴローの記憶遺産その②

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世の中には自分にそっくりな人が3人はいるという事を聞いたことがある。

★どっちがゴロー?

ゴローA××「30年近くも前の事なんだけど、
石垣島(沖縄県)のマラソン大会に出たんだ。

完走してゴール付近で友人を待っていたら、
何処かの雑誌記者みたいな人がインタビューさせてくれって言うんだ。

その記者が僕にそっくりなのでびっくりしたなァ」

      *

ゴローB××「30年近くも前の事なんだけど、
石垣島のマラソン大会の取材に行ったんだ。

ゴールした人から話を聞こうと思って声を掛けたら、
びっくりしたなァ、その人が僕にそっくりなんだ。

僕は思わず"何で俺がそこにいるんだ"って言ってしまった」

      *

さて、右と左のどちらが本当のゴローでしょう。

      *

モチ、僕のことを知っている人なら分かると思うけど、
ちらっとしか見たことがないとか、
もう何年も会ってないとかいう人なら間違えるかも・・・・・。

      *

世の中には自分にそっくりな人が3人はいるという事を聞いたことがある。
本当かどうか定かでないが、
少なくとも一人はいた。

そっくりな人を見ると
見比べた人はなぜか笑う。

偶然に遭遇したことの
おかしみ見たいなものに笑うのだろうと思う。

このときも周囲にいて気づいた人は笑っていた。
僕も笑った。

      *

さて、答えは左のカメラを持っている方がゴローでした。

   *

※ゴローの記憶遺産"について
何のことはない、古い昔の思い出の掲載だ。
写真はプリントからとデータからのがある。
モチ、プリントはデータより古く20年前以前のもの。
写真も思い出話も押し付けるようで迷惑だとは思う。
しかし、溜まった写真・データを掘り起こすのは
年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつなのだ。
なくべく厳選し、面白い内容にしたい。
さらに、このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

朝のラジオ体操。我楽多(ガラクタ)はあの日の記憶だ

16.11.15 三橋公園の紅葉とラジオ体操 (7)
紅葉の下の広場で超大きな輪になって体操をしていたのは50人ほど。
写真のピンボケはレンズの汚れです。

★肩こりは運動不足から?

朝の散歩中、
三橋運動公園の広場でラジオ体操に参加した。

膝のけがもほぼ全快、
山行もすでに数回参加している。

右手のしびれもいくらか残ってはいるがほぼ治った。
ただ、なぜか今度は肩が凝る。

ひょっとしてしびれは凝りから?・・・・と整形外科の先生に聞いたら、
「関係ない」と言われた。

でも、パソコンの前に座ってマウスを操作すると凝るのだ。
だから、膝のためにもらっている湿布薬を肩に使っている。

        *

肩こりは運動不足からではないかと思うのだがどうだろうか?
そんなことを思っているときに出会ったラジオ体操だった。

これ幸いと参加したのだが一回だけじゃ・・・・・・・。

       ☆

16.11.15 我楽多 (766)
「勝利の」ハチマキ。買ったいきさつを覚えていない。

★我楽多(ガラクタ)はあの日の記憶だ

昨年引っ越しの際にずいぶん捨てたが、
まだまだガラクタが残っている。

今日はそれぞれ写真を撮って、
捨てるものはじゃんじゃん捨てた。

ガラクタにはどれも思い出がある。
捨てるに忍びないものもあるが仕方がない。

       *

今日紹介のガラクタは『勝利』のハチマキだ。

いつどこで買ったのかは覚えてないが、
使用したのは覚えている。

もう25年くらい前になるのだろうか。
雑誌で募集したマラソンツアーに参加した人の応援で
このハチマキを締めたのだ。

       *

さらに数年後、
地域のバザーで行ったオークションで使用した。

この「勝利」のハチマキと
ハリセンボンでテーブルをたたきながら、
商品の値を釣り上げていった・・・・・・じゃなくて、
売れなくて値を下げて行った。
そんな記憶がある。

増毛の思い出はひと山100円で10個のリンゴ。

16.8.23 ブログ用増毛ほか  (2)
北海道開拓おかき「増毛 甘エビ」。エビの香りと味が濃いおかきだ。
16.8.23 ブログ用増毛ほか  (29)
増毛港でスケッチをしたことも思い出した。

★増毛の思い出はひと山100円で10個のリンゴ

テーブルの上の袋のお菓子を裏返してみたら
"増毛"と大きく書いてある。

袋の両サイドはスペースいっぱいに"北海道"。
増毛の海で採れた甘エビを使用しているおかきだ。

正式な商品名は"北海道開拓おかき「増毛 甘エビ」"。
妻が会社の同僚から夏の旅行のお土産にともらってきた。

      *

増毛は昔その駅名が同じ北海道の幸福駅とともにブームとなった。
僕が増毛を訪れたのもちょうどその頃だ。

もっとも1980年代に高倉健主演の映画『駅』のロケ地になって有名になっていた。
下のブログに駅のあらすじと増毛の様子が詳しく紹介されている。
http://guide.travel.co.jp/article/10314/

秋口に行ったように記憶しているが、
人影も少なく静かなところという印象が残ってる。

駅舎や駅前の旅館、食堂などの建物など、
まだそのままだろうか?

少なくとも、僕が行ったときは映画のロケそのままのたたずまいだった。

      *

日帰りでぶらついただけだが、
町の様子はとても印象に残っている。

帰りに小さな雑貨屋さんのような店で、
ひと山100円で10個のリンゴを買った。

小さいリンゴではあったけれど、
その甘さ、美味しさに度肝を抜かれた。

果肉の大半に甘い蜜がしみ込み,
度肝を抜かれるほどだったのだ。

僕が増毛行ったいちばんの思い出は
今でもそのリンゴの味なのだ。

       ☆

16.8.23 ブログ用増毛ほか  (25)
何でこうなるの・・みたいな。

★映画・NHKBS3Ch「昼下がりの決斗」 1962年 アメリカ

NHKのBSでやるくらいなのだから名作なのだろう。
でも、なんだかよくわからない。

つまり勧善懲悪がはっきりしない。
何でこうなるの・・みたいな。

西部開拓時代はこんなだったのかなァ。
映像はきれいだしテンポがいいので見ていて飽きなかったけれど。

新築物件みたい・・・・建物の補修工事終わる。コンコルドの時代

15.1.22 団地の瑕疵補修終了 ・コンコルド(18)
階段床も靴音が響かないよう防音シートが貼られた。

★築25年目の補修工事終わる

玄関扉の隙間を埋める緩衝材の交換を最後に
団地の瑕疵補修工事が終わったようだ。

昨年の10月に入居した時には始まっていた工事だから、
3ヶ月ほどかかったことになる。

築約25年目の大工事だったみたい。

我が家は入居の際(家の)中もリフォームしているので、
おかげで新築物件に引っ越してきたようだ。

管理組合の役員の方々、ほんとうにご苦労様でした・・・・なのだ。

       ☆

15.1.22 団地の瑕疵補修終了 ・コンコルド(2)
40年前の1月21日はコンコルドが営業を開始した日。

★コンコルドはかっこよかった

昨日の朝のテレ番でコンコルドの話をしていた。
かって音速の2倍という速さで大西洋を飛んでいた飛行機だ。

40年前の1月21日に商業運航を開始、2003年に終了。
2000年に起きた墜落事故がその理由のひとつとある(ネットより)。

その墜落の原因を
You tube
コンコルド墜落事故 衝撃の瞬間
見る(知)ることができる。

     *

日本にも5回飛来してきているとか。
僕も一度ニューヨークの空港で着陸するコンコルドを見たことがある。
とにかくかっこいい。
かっこよかった。

巨人・大鵬・卵焼き世代のは、
コンコルドの時代でもあったわけだ。
あッ、それからビートルズの時代でもあったなァ。

佐藤照雄(画伯)の下描き?が出てきた

15.10.17 ブログ用 (3)
佐藤照雄(2003年没)画伯から受け取った原画のあて紙に使用されていたボード。
下描きなのか途中で放棄してしまったものなのか?

★30年近く同じ場所にしまっておいたまま

和室の天袋を片付けていたら、
ずっとしまったままの絵の類が出てきた。

僕が描いたものではない。
仕事で依頼した画家の油彩とパステル画の原画(4点)と
画家を目指す学生(当時)の作品(3点)。

どれも制作者本人からのもらい物だ。
30年近く同じ場所にしまっておいたままだったみたい。



古ポスター始末

★30年以上とっておいた古ポスター

リビングにある天袋を片付けた。

5月人形やら結婚式のお返しの品やらに混ざって、
古いポスターが5枚ほど出てきた。

記憶に残っているのはトライアスロンのポスターのみ。
それすら見覚えがある程度でまさかしまっておいたとは・・・なのだ。

あとの4点は全く記憶に残っていない。

30年以上もしまっておいてというか、
とっておいたのはただ捨てるため?

でも考え方次第ではそれもよい。
30年前は思いもよらなかったブログで掲載(紹介)できるのだから。

おかげで心置きなく捨てることができる。

ポスターはいずれも部分。
トライアスロン以外はB全サイズだ。

15.10 。15ランチ、古ポスター(22)
ジーン・サラゼン。
1978年のゴルフトーナメント・ジュンクラシック。
15.10 。15ランチ、古ポスター(30)
杉村春子。
欲望という名の電車(西武劇場。年不詳)
15.10 。15ランチ、古ポスター(35)
エッチにもほどがあるのコピーみ日本語であとは全部英語。
INTEGRAとあるが何のポスターかは不明。
15.10 。15ランチ、古ポスター(36)
1985年開催のジャパントライアスロンシリーズ アマクサ。
この時の会長は長嶋茂雄。
風雨の強い荒れた天候の中、
埠頭に立ってスタートのピストルを鳴らした姿が印象的。
15.10 。15ランチ、古ポスター(20)
これは小学館の1974年カレンダー。
同じ虎のイラストを使用して1~6、7~12月の2種。

拓本数十枚を廃棄。綿の木の蕾・花・種

1 15.9.26 散歩、片付けは拓本とカメラ類の処分 (49)
一枚一枚に思い出がよみがえるのだが・・・・・・。
数十枚を廃棄処分した。
2 15.9.26 散歩、片付けは拓本とカメラ類の処分 (58)
宮城県の浦戸諸島の寒風沢島で採拓した方位石は僕の自慢の逸品?
※ 十二支方角石(塩竈市指定・有形文化財・昭和62年2月1日指定)
寒風沢の日和山にあるこの方角石は、十二支が刻まれた円柱形をなし、
直径45cm高さ82.5cmと他所に類を見ない堂々としたものです。
奉献者が一般の船頭、廻船問屋とは異なり
幕府より差遣された役人(木村又兵衛正信)であることも珍しいそうです(ネットより)。

★数十枚の拓本を廃棄処分

川越拓本クラブが解散、活動を停止してから7年が過ぎた。

活動中は毎年、川越市の古谷公民館での展示会を行っていた。
その展示会が1年間の成果を発表する唯一の機会であったわけだが、
採拓には毎月のように新潟、水上、川場、千曲川、秩父など遠くまで出かけた。

作品展示のため自分で選んだ拓本(作品)を軸やパネル貼りにした。
ひとり2、3点と決められた展示作品は
採拓したの中のほんの一部に過ぎなかった。

大半の作品は裏打ちもせずに、
捨てるに捨てられず押入れの中に放り込んでおいたのだ。

それらを今日、処分した。
数十枚、もしかしたら100枚近かったかも・・・。

       ✩

3 15.9.26 散歩、片付けは拓本とカメラ類の処分 (12)
綿の木の花。
4 15.9.26 散歩、片付けは拓本とカメラ類の処分 (15)
綿の木の蕾。
5 15.9.26 散歩、片付けは拓本とカメラ類の処分 (19)
綿の木の種が弾けて綿となる。

★綿の木の蕾・花・種

先日は綿の種(弾けて綿になっていた)の写真を掲載したが、
今日は蕾と花と種だ。

★明日は奥秩父へスケッチをしに行く予定。泊りの場合はブログはお休みします。

写植と福沢諭吉の言葉・・・・片づけていたらの2題。スズメの学校

★写植と福沢諭吉の言葉

①今も活躍しているらしい写植

物置を片づけていたら、
もう30年も前に使っていた商売道具(仕事)が出てきた。

僕は40歳頃までは本のレイアウト(グラフィックデザイナー)をしていた。
その時の道具だ。

写植で検索したら、
詳しく解説をしているブログが見つかった↓。
http://www.repo-zine.com/archives/13872

しかも、写植は今でも活躍しているらしいのだ↓
http://ryougetsu.net/link_inji.html

この道具、何だかいとおしく、
捨てがたくなってきた。

       *

②福沢諭吉の言葉を今の僕が読むと・・・・

押入れの中を片づけていたら、
ボーイスカウトのリーダー時代、
スカウトたちに配った福沢諭吉の言葉が出てきた。

この言葉を改めて今の僕が読むと、
真逆の意味を指摘されているような・・・・・。

すなわち今の僕には・・・・・、

一生涯に貫く仕事はないし、
他人と比較できるような教養もない。
とにかく今はする仕事はないし、
他人の生活をうらやむな・・・なんてことも無理だ。
人のために奉仕などしていない。
すべてのものに愛情を持てるほど僕の心は広くありません。
うそつくなと言っても結果的にうそになってしまうこともあります。
つい最近も、約束を守れなことがあったし・・・・。

福沢諭吉は21世紀の高齢者社会のことなど、
想像もつかなかったに違いない。

15.9.14 ブログ用片づけ物 (22)
30年くらい前、雑誌のレイアウトの仕事をしていた時代の道具。
        *
15.9.14 ブログ用片づけ物 (25)
福沢諭吉の言葉を、今の僕が改めて読むと・・・・。
右の短冊(栞)は7年ほど前に牛乳普及協会からもらったもの。
『忘れっぽい・・・・』はやっぱり僕のことだァ。

        ☆

15.9.14 ブログ用片づけ物 (4)
スズメの学校では多分点呼とりをしているのだ。

★スズメの学校

スズメ学校ではいま、先生が点呼をとっているに違いない。
なぜなら・・・・・。

スズメの生徒たちは刈ったばかりの田んぼで、
それぞれ思い思いに餌を啄んでいた。

そこへ、何十匹ものムクドリの一団が舞い降りてきたのだ。
スズメの生徒たちはあわてて逃げ、
すぐ脇の資材置き場の塀の上に整列したというわけなのだ。

黄檗宗萬福寺と牛乳石鹸。県立博物館の葛飾北斎『鯉亀図』。本「白洲次郎の流儀」

★県立博物館の葛飾北斎『鯉亀図』

「もっと知りたい葛飾北斎」というムック本を見ていたら、
掲載写真の『鯉亀図』が埼玉県博物館蔵となっていた。

本物(実物)が見られるならと、今朝思い立つようにして行ったのだ。

さらに平日の開館直後はガラ空き。
館内のボランティア・ガイドさんが1時間以上もぴったりついて、
その他、古墳時代・江戸時代の展示室(物)の説明をしてくれた。

入場料300円。
館員の方々みな親切であった。

1 14.7.9県立歴史博物館MG0389 (16)
博物館は大宮公園の一画。深い緑におおわれた静かな環境の中にある。
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第4室美術展示室のパンフにも紹介されていた葛飾北斎『鯉亀図』 (中)。
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ムック本「もっと知りたい葛飾北斎」の中の『鯉亀図』 の掲載頁。
4 14.7.9県立歴史博物館MG0389 (23)
博物館を囲む樹木の向こうの池。
以前はボート場でもあった。何回かエコ(廃品物)ボート大会が行われ、
ボーイスカウト(指導時代)で空き缶ボートを建造、
大会に参加したことがある。
今は池の半分がガマで埋まってしまいボートを浮かべるのは不可のようだ。
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公園内の野球場では夏の甲子園(高校野球)が始まっていた。
平日なのにスタンド(応援席)は人でいっぱい。
6 14.7.9県立歴史博物館MG0389 (3)

       ☆

★黄檗宗萬福寺と牛乳石鹸

JR大宮駅と東武線の通路に張られていた大ポスター。

左がJRの京都の観光PR、右が牛乳石鹸。
二つの関係については僕には分からない。

ただ、僕にはたまたま二ヵ所とも想い出のある場所。
左の写真は黄檗宗大本山萬福寺。

ここには20代の頃だが、
当時修行中(?)だった武道“居合い抜き”での合宿で行った。
座禅、掃除、精進料理などが印象に残っている。

      *

右の牛乳石鹸は定年前の数年間仕事でお世話になった会社だ。
大阪の今福の本社には何度かお邪魔した。

仕事上のお得意さんなのに、
お会いする方々みなさん穏やかで紳士的、
さすが歴史のある名門会社は違うなァと感心したものである。

      ☆

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北斎の絵や版画を(本で)見る度にすごい天才だァと思う。

★本「もっと知りたい葛飾北斎」 永田生慈監修

北斎の絵や版画を(本で)見る度にすごい天才だァと思う。
北斎の生き様もすごいドラマチックだけど・・・・。
     *
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僕とは全く違うレベル(雲上人)の人の世界。

★本「白洲次郎の流儀」 ムック本

この人の生き方、生き様にあこがれた人は多い?
この人の生き方、生き様を真似しようとする人もけっこういるんじゃないか?

僕とは全く違うレベルの人(雲上人)の世界。

厳冬の旅の風景・津軽  2000年・・・・あの日の記憶・メモ。棒読み・拾い読みの3冊

★夕食の支度を手伝う

とうとう下の孫(2歳)が風邪を引いたようだ。
僕のが移ったかなァ?

   *

今日から図書館が開いたので早速行った。

   *

夕食の支度を手伝う。
といってもお好み焼きなのだが。

家内・嫁(同居中の次男の)、
娘(近所に住む)の正月疲れが少しでも取れれば・・と。

   *

風邪はやっと完治に向かう。

   ☆

1 コピー ~ 14.1.5ブログ用
機会があれば改めてじっくりと読むことにする。

★棒読み・拾い読みの3冊

イマイチじっくりと読むことが出来なかった。

3冊とも拾い読みの棒読みになってしまったのが、
僕の風邪のせいか、それとも根性がないせいか?

機会があれば改めてじっくりと読むことにする。

大倉喜八郎はホテルオークラで有名、
森村市左衛門は日本陶器産業の父。
共に明治時代、日本の近代日本の草創期の偉人。

織田信長は安土城の図説を見たかった。

   ☆

★あの日の記憶・メモ  厳冬の旅の風景・津軽  2000年
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旧陸軍桶川飛行学校 ・・・文化遺産として残したい逸品。風邪でダウンの1日

★旧陸軍桶川飛行学校写真(後編)・・・・2009年

旧陸軍桶川飛行学校の詳細についてはネットで ↓
http://okgwkataritsugu.koborezakura.com/

文化遺産としてぜひ残したい貴重な逸品だと思うのです。

0 9.9.5旧陸軍桶川飛行学校
1 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (62)
2 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (63)
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      ☆

★風邪でダウンの1日

今日はとうとう風邪でダウン。
1日中寝ていた。

お陰で華族のクリスマスパーティ(外食)も参加できず。
本も読めず。

やっぱり病気はつまらない。
風邪などと侮ってはいけないのだ。

岩佐暖(ショートトラック)ソチ五輪代表選考会の記事。切腹を免れた赤穂浪士・寺坂吉右ェ門の墓

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岩佐暖(前から3番目・正面を向いている)。ソチ五輪の代表選考会2日目の記事。

★岩佐暖 ソチ五輪の代表選考会2日目の記事(15日読売新聞)

今月14日に行われたショートトラック(スケート)の
ソチ五輪の代表選考会(大阪市)の記事がメールにて送られてきた。

写真の前から3番目(正面を向いている)が僕の親戚(甥の長男)だ。

残念にもソチは選考からもれたがまだ高校生。
その次は・・・行け~~~。

   *

応援よろしく。

      ☆

★切腹を免れた赤穂浪士・寺坂吉右ェ門の墓

12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日から明日で1週間。
ちょっと遅いが、それでもタイミングよく?
写真収納段ボール箱の中から“寺坂吉右ェ門の墓”の写真を見つけた。

写真は15年ほど前の仙台転勤中の時、
朝のジョギング中に撮ったものだ。

     *

寺坂吉右ェ門は赤穂浪士47人のうちの1人なのだが、
切腹を免れている。

直前逃亡説と討ち入り後に大石内蔵助に頼まれて、
赤穂まで報告に走ったという説があって、
いまだにどっちが正しいのかはっきりしないらしい。

・・・が、とにかく高輪の泉岳寺にある赤穂浪士の墓は46なのだそうだ。
つまり、討ち入り後に切腹した義士は46人ということなのだ。
(寺坂吉右ェ門の墓は46義士とは別の位置に立っていて一緒に並んでいない。
その理由が寺坂が士分ではなく足軽であったからとの説もあり・・)。

     *

ほとんど同時に仙台の図書館で『7人の寺坂吉右ェ門』(多分そのような題だった)
という本を見つけ、早速借りて読んだのだ。

その本によれば、
全国に寺坂吉右ェ門の墓は7つあるそうなのだ。
本は7つの墓の所在を調べ現地を取材して書いた内容であったように思う。

仙台にいた寺坂は寺子屋の先生だった。
同じようにいくつかの寺坂も同じ寺子屋の先生だったような気がする。

残念なことにネットで検索してもこの本が出てこないのだ。
地元の郷土史家か書いたか、
あるいは自費出版された本なのだろう。

よく調べてあり、面白い内容だったのだが・・・。

『寺坂吉右衛門は、「忠臣蔵」の中に出てくる赤穂浪士47士の一員で、
ただ一人生き残ったとされている人物です。
寺坂のお墓は、東京・南麻布、五島、出水、八女、益田、伊豆、
そして仙台の7カ所にあるとされます。
延享4年(西暦1747年)10月6日にその生涯を閉じたと伝えられていますが、
どれが本当の墓かは分かっていません』・・・・ネットより

ほかに寺坂吉右ェ門で検索したものでは↓が詳しい。
http://www.geocities.jp/toshio2003jp/terasaka.html

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京橋駅前 旧片倉ビルのトイレの便器。映画 「サンダカン八番娼館 望郷」。ノッポの向日葵

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軒までは届いている。僕の身長の2倍半(4メートル)はある。
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他の向日葵はまだ低い。一緒に植えたわけではなさそうだが・・・。

★ノッポの向日葵(ひまわり)

“ナニコレ珍百景”に出るにはまだ少し足りないが、
それでもノッポの向日葵だ。

4メートルはある。
1階の軒まで届いている。

      ☆

★あの日の記憶・メモ  京橋駅前 旧片倉ビルのトイレの便器 2005年
5 05.4.15片倉ビルのトイレ 001 (6)
男子トイレの小便用便器。
3 05.4.15片倉ビルのトイレ 001 (1)
オフィス入り口のドア。
4 05.4.15片倉ビルのトイレ 001 (5)
大便用便器は新しいがドアは古いまま。座ると落ち着きそう。
6 05.4.15片倉ビルのトイレ 001
郵便受け木製だ。

地下鉄京橋駅前の片倉ビル。
今は建て直しをしてピカピカというか、
大阪流に言えばコテコテの近代ビルに変わってしまったいる。
上の写真4点はいずれも立て直す前の2005年5月に撮影したもの。
外形をはやっぱりシッカリと写真を撮ったものがブログにあった(↓)。
http://blogs.yahoo.co.jp/julywind727/30573731.html
撮っておきたくなるなるくらい風格のあるどっしりとしたビルだった。
当然、ビルの中も・・、そしてトイレも・・・。
どっしりと落ちつきのある男子トイレの便器。
じつはこれ以上の便器を撮影したことがある。
旧丸ビルのトイレだった。
いつか紹介する機会があると思うが、
今日はひとまず片倉ビルだ。
レトロって今にして思えばものすごく贅沢だったように思えるが・・・。

     ☆

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ノンフィクションにしては・・・の印象が僕には強い映画。

★映画DVD 「サンダカン八番娼館 望郷」 熊井啓監督 1974年

ずいぶん以前に原作を読んでいる。
当時もノンフィクションにしては・・・と思った印象だったが、
映画を見ても何となくノンフィクションぽくないんだよなァ。
どうしてなんだろうなァ。
1人を例に挙げて全体がそうだと思わせてしまう危険性を
僕なりに感じたのかもしれない。
作家(または監督)が娼婦という“人”に対して
はじめから差別的な眼で見ているようにも思えるのだ。
最期のシーンで娼婦たちの墓が全部南向きで、
日本に背を向けているなどというのは本当のことなのか?
小説ではどうなっていたか忘れてしまったが、
タイトルにある“望郷”と矛盾していないか?
また、日本人が街に火をつけて現地住民を皆殺しにしたとかは、
これも本当のことなのだろうか?
自虐的映画と言っては言い過ぎか?
中国の鄧小平が3度目の復帰を果たしてから、
日本映画を解禁にした3本の内の1本だったらしい。
他の2本、高倉健の「君よ憤怒の河を渡れ」と「キタキツネ物語」は
友好的な意味合いを感じるが、
「サンダカン八番娼館」はちょっと違うような・・・。
1974年キネマ句報日本映画1位。

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