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あの日の記憶・メモ Archive

石庭みたいな🌸・・・・・・2005年4月。映画「故郷」

★癒しの風景
15.4.3 大久保浄水場の桜  (21)
石庭?
15.4.3 大久保浄水場の桜  (6)
水に浮かぶ桜の花びらです。
15.4.3 大久保浄水場の桜  (70)
流れ(石庭)の対岸。

石庭・・・・・・?

・・・・・・じゃありません。
水に浮かぶ桜の花びらです。

5年前に撮影した花見処大久保浄水場。
自宅から車で20~分くらいかなァ。

けっこう太目の🌸が200mほどは続くかなァ。
🌸が終われば数年前に植えた八重桜も楽しめる。

      *

🌸には郷土愛があるようで、
自分のところの🌸がいちばんと自慢したくなる。
僕もその一人かも知れない。

じつはもう1ヵ所ある。
ブログで紹介済だが鴨川の🌸。
こちらは15~分ともっと近い。

     ☆

20.3.18 映画故郷ほか (27)
倍賞千恵子と井川比佐志。

★映画「故郷」山田洋次監督1972年

主役の2人、倍賞千恵子と井川比佐志とがビッタシ超ウマ。
笠智衆も超いい。
魚の行商をしている寅さんじゃない渥美清もいい。
瀬戸内海の風景が美しい。
石を運ぶ古い木造船がGoo.。
僕が見た山田洋次監督の作品の中でも一番好き。
この年のキネマ旬報3位。
僕は2度目の鑑賞。

あの日は山手線の中で・・・・・・2011年3月11日。映画「たそがれ清兵衛」「それから」「肉体の門」「彼女の人生は間違いじゃない」

1 11.3.11地震 (38)
2011年3月11日、僕は山手線の一番前の車両にいた。
2 11.3.11地震 (61)
乗客は最寄りの神田駅まで線路上を歩いた。

★震災から半年後と1年後の傷跡

あの日、2011年3月11日、僕は山手線の一番前の車両にいた。
停車後も車両はガタガタと音を立てて左右に揺れている。

車窓から見えるビル群もゆっくり左右に動いている。
しかもビルによって揺れ方が違うのが分かるのだ。

      *

空いている車内はしばらく沈黙が続いていたが、
そのうち乗客の一人が大声で怒鳴り出した。

叫びながら運転席の仕切りをバンバン蹴っている。
何度も何度も「早くしろ!何しているんだ!」。

モチ、車内放送が流れているのだが。
見かねた人が男を諭すのだが聞く耳を持たない。

そこに携帯を手にした人が叫ぶ男に画像を見せた。
三陸の津波がもう携帯に流れていたのだ。
それを見た男はすぐに席に戻った。

      *

2時間後、乗客はそのまま降ろされて最寄りの神田駅まで線路上を歩いた。
その日はもちろん帰宅は出来ず、僕は深川の兄の家に泊めてもらったのだ。

★震災から半年後と1年後、傷跡はまだ(ほとんど)手つかずのままだった
3 12.5.5-8遠野被災地・陸前高田・気仙沼 (66)
4 11.6.8相馬、南相馬 (90)
5 11.6.8相馬、南相馬 (59)
6 11.6.8相馬、南相馬 (65)
7 11.6.8相馬、南相馬 (67)
8 11.6.8相馬、南相馬 (82)
9 11.6.8相馬、南相馬 (105)
10 11.6.8相馬、南相馬 (114)
12 12.5.5-8遠野被災地・陸前高田・気仙沼 (39)
13 12.5.5-8遠野被災地・陸前高田・気仙沼 (40)
14 12.5.5-8遠野被災地・陸前高田・気仙沼 (53)

      ☆

★映画4本
15 20.3.11 映画 たそがれ清兵衛、それから、肉体の門、彼女の人生は間違いじゃない (29)
・「たそがれ清兵衛」=山田洋二監督2002年。
もう3度か4度目の鑑賞。
藤沢周平原作を山田洋二監督が映画化すればこうなるみたいな。
この年のキネマ旬報1位。
      *
16 20.3.11 映画 たそがれ清兵衛、それから、肉体の門、彼女の人生は間違いじゃない (45)
・「それから」=森田芳光監督1985年。
原作は夏目漱石の「それから」。
明治調の動きとカラーと台詞?
この年のキネマ旬報1位。
でも、娯楽性に欠けているみたい。
いい映画で評価も高いが興行成績はどうか?
      *
17 20.3.11 映画 たそがれ清兵衛、それから、肉体の門、彼女の人生は間違いじゃない (82)
・「肉体の門」=五社英雄監督1988年。
原作は田村泰次郎の文学映画。
娯楽だけではない任侠・やくざ映画?
     *
18 20.3.11 映画 たそがれ清兵衛、それから、肉体の門、彼女の人生は間違いじゃない (87)
・「彼女の人生は間違いじゃない」=廣木隆一監督。
2011年の大震災で人生を狂わされた女の子の話。
監督は原作者でもある廣木隆一。
この年のキネマ旬報7位。

山行申し込み。樹木葬募集中の七ツ森・・・・・・2000年(あの日の記憶)。映画「陽はまた昇る」「ひばり姫 初夢道中」

★大丈夫だろうか

久々の山行申し込み。
昨年暮れの入院手術、やっと動き始めたら脚の肉離れ。

2週間後にCクラスの山行を申し込んだが、
2ヵ月近くも運動不足で大丈夫だろうか。

      ☆

スキャンr1 (2)
七ツ森。
スキャン_20200131 (2)
七ツ森湖畔公園。

★もし、遭難していたら

Facebookの広告に懐かしい七ツ森が出てくる。
ただ、樹木葬募集の広告だ。
それでも、七ツ森の記憶が甦って懐かしい。

仙台に転勤中の僕はまだ50代前半。
一日でこの7つの峰を縦走しようと思ったのだ。

七ツ森は低山が七つ並んでいる。
遂倉(とがくら)山307m
鎌倉(かまくら)山313m
蜂倉(はちくら)山289m
撫倉(なでくら)山359m
松倉(まつくら)山291m
大倉(おおくら)山327m
笹倉(ささくら)山506m

笹倉山は少し離れているので車で移送しなくてはならない。
レンタカーを借りでまずとりついたのはその笹倉山。

      *

どの山も一旦下山してから、
次の峰も登り始めるので低山であってもトータルの高度差は2000mを超える。
けっこう急登もあった気がする。

元気にまかせて少し甘く考えていたようだ。
携帯した飲料水が500mlたった一本。

午後1時半頃までに6つ目の頂に立ったところでダウンしてしまった。
飲料水が切れたのだ。。

もう喉がカラカラ、これ以上は危険と判断して下山した。
最後の七つ目の峰を目の前にして・・・・・・。

歩行8時間半。
もし遭難していたらそのまま樹木葬。

      ☆

★映画2本
20.1.31 映画陽はまた昇る (18)
・「陽はまた昇る」佐々部清監督2002年。
ビクターがVHSを開発までの企業もの。
事業部長が西田敏行、
松下幸之助の役を仲代達矢。
劇的シーンは一事業部長が松下幸之助に直訴するところか。
      *
20.1.31 映画陽はまた昇る (8)
・「ひばり姫 初夢道中」大曾根辰夫7監督1952年。
ひばり15歳。
お姫さまから庶民に変身したり歌ったり、
ひばりにピッタシの映画なのかも。
高田浩吉が共演。

30年前の足尾銅山跡。Youtube映画「わが恋は燃えぬ」「ひとり息子」「一心太助」

★直筆のひと言がいいねェ

今年の最後の年賀状は今日の一枚。
100枚前後を出して同じくらい来る。

それでも年々減っている。
数年前までは120枚。

ほとんどが年賀状のやり取りのみのお付き合いの人。
それだけにやっぱり賀状は嬉しいものだ。

      *

「昔話を楽しむ年令になりました。本年もよろしく」

印刷された新年のあいさつに添えられていた直筆のひと言。
いいねェ。

      ☆

★30年前の足尾銅山跡・・・・・あの日の記憶・メモ(1990年8月)

※カテゴリー"あの日の記憶・メモ"とは古い昔の思い出の掲載。
溜まった写真・データを掘り起こすのは年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつ。
このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。
*
昨年暮れに新田次郎著「ある町の高い煙突」を読んだ。
日立はなぜ公害を防ぐことが出来たのかを知ることが出来る内容だ。
読んでいる間、頭の中は足尾銅山の光景が浮かんでいた。

足尾銅山へはこれまで6回行ってる。
最初はいつのことだか忘れたがモノクロ写真で撮ったと記憶している。

下の写真は多分、3度目の時、1991年(プリントの裏に印字されたフジカラーの日付)。
そのあと1人で石拾い(鉄色の庭石)とか、
友人グループと旅行帰りに寄ったこともある。

1 スキャン_20200108 (3)
2 スキャン_20200108
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      ☆

11 わが恋は燃えぬ 溝口健二 1949年」
明治時代、女性解放の女性活動家を田中絹代が演じている。

★Youtube映画「わが恋は燃えぬ」溝口健二監督1949年。

全く素人の判断なのだけれど、
もしかしてモデルがいるとすれば、
主役の田中絹代は平塚雷鳥かそれに近い活動家のことかなァ。
勝手な想像だけれど・・・・・・。
      *
12 20.1.8  映画「ひとり息子」小津安二郎監督1936年
飯田蝶子が主役。

★Youtube映画「ひとり息子」小津安二郎監督1936年

脇役の多い飯田蝶子が主役。
名演技だ。
貧しいながらも心温まる内容。
この年のキネマ旬報4位。
      *
13 一心太助 佐伯清監督1945年
原作・脚本は黒澤明。

★Youtube映画「一心太助」佐伯清監督1945年

エノケンがひょうきんに笑わせるコメディ映画。
1945年は終戦の年。
43、44、45はキネマ旬報は中止になっている。
ベスト10に入ったかどうか分からないがよくぞ作った、作れたものだ。
原作・脚本は黒澤明だ。

二宮尊徳像ときのこ岩(水郡線に乗って)・・・・・・2006年4月。Youtube映画「からみあい」

※カテゴリー“あの日の記憶・メモ”とは古い昔の思い出の掲載。
溜まった写真・データを掘り起こすのは年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつ。
このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

★常陸大子ぶ~らぶら・・・・・・2006年4月

水戸駅から郡山までの列車旅。
季節は4月、途中の新緑の景色が強く印象に残っている。

常陸大子駅で途中下車。
お天気も上々で駅からのぶ~らぶら日和。

あまりに美しい田園風景にぶ~らぶらも2時間を超えた。

      *

水郡線の終点郡山駅で、
観光案内嬢に付近の名所を聞いた。

そこで行ったが日本のカッパドキアと言われる(らしい)
浄土松公園の“きのこ岩”

1 06.4.22常陸大子と郡山きのこいわ (7)
水郡線は水戸発。
2 06.4.22常陸大子と郡山きのこいわ (15)
二宮尊徳像。
いつの頃からかすっかり見なくなった尊徳像が
常陸大子のこの小学校では立派に建っていた。
3 06.4.22常陸大子と郡山きのこいわ (25)
川べりの散策道(常陸大子)。
4 06.4.22常陸大子と郡山きのこいわ (44)
美しい田園風景(常陸大子)。
5 06.4.22常陸大子と郡山きのこいわ (49)
リンゴが名産品。
落ちたリンゴの山?
リンゴの甘い香りが一面に・・・・・・。
6 浄土松公園のきのこ岩
日本のカッパドキアと言われている“きのこ岩”(郡山)。
2011年の大震災で一部崩れてしまい、今は少し姿を変えている。

      ☆

★Youtube映画「からみあい」
7 DSCF6712 (2)
Youtube映画「からみあい」=小林正樹監督 1962年
南条範夫のサスペンス小説の映画化。
遺産相続をめぐって悪だくみをする人たちのからみあい。
悪そうでなかった秘書の岸恵子が最後に全部の遺産を手にする
・・・・・・いちばんの悪になる。

懐かしいスケッチから思い出した北海道転勤時代

★北海道転勤時代と叔母・・・・・・古いスケッチブックから➀

古いスケッチブックが捨てずに2、3冊ある。
気まぐれに、記憶にとどめるために描いたもので、
とても人様にお見せできるものではないが.、
今日のカテゴリー“あの日の記憶・メモ”に免じてお許しを・・・・・・。

北海道に転勤したのは52~53歳にかけてだった。
まだまだ元気で休日ともなると
常にどこかへ出掛けていた.

記憶が正しければ、
札幌勤務中に51日あった休みで、
どこへも出かけずに家(マンションの部屋)にいたのは一日だけだ。

多分その日は風邪かなんかで体調がよくなかった?

      *
その頃、
浜松のひとり暮らしの叔母が医療付介護施設に入院中で、
僕は毎月見舞いに行っていた。

北海道時代は札幌から名古屋へ空の便を使い、
名古屋から新幹線で浜松へ、
そして駅前からバスで施設へ向かった。

今になってみれば懐かしい思い出である。
おいおい他のスケッチも掲載するかもなので
今回はとりあえず➀とした。

スキャ0190512 (4)
大通公園 1998年 10月9日。
オフィスが大通り公園を一本入ったところで、
毎日地下鉄の駅から公園内を歩いてオフィスへ向かった。
スキャン_20190512 (3)
余市川 1998年 9月26日。
余市サクランボマラソンに参加。
スキャン_20190512 (4)
豊頃 1998年 9月19日。
豊頃サーモンマラソン(フル)に出場。
参加証はサケが一匹だった。
スキャン_20190512 (6)
叔母 1998年 9月25日。
入院3年目あたりから認知症が・・・・・・。
スキャン_20190512 (8)
叔母 1998年 9月25日。
入院生活は7年に及んだ。

魔女に出会った酒場・・・・・・あの日の記憶・メモ(1990年頃・オーストリア)

Youtubeでナツメロ歌謡を聞き流していたら、
いつのまにかモンゴルのホーミーに変わっていた。

ホーミーに聞き惚れていたら、
いつのまにかマイケルジャクソンに。

そして30分ほどでマイケルジャクソンからビートルズに移っていた。
アルバムは初めての見るものばかり。

米国(多分)からの配信なのだろうけど、
どれもGoo (^^♪

何の操作もいらないし聞き流すだけでいい。
まったく家にいても退屈しないのだ。

      ☆

★魔女に出会った酒場・・・・・・あの日の記憶・メモ(1990年頃・オーストリア)

※“カテゴリー""ゴローの記憶遺産”とは古い昔の思い出の掲載。
 溜まった写真・データを掘り起こすのは年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつ。
 このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。"

✩思えばバブルの真只中

ホーミーを聞いて今日のブログにモンゴルを思いだし、
段ボールの中の写真を漁ったが見つからない。

じゃァ、ニューヨークかロンドン・・・・・・もやっぱり同じ。
いつか出てきたらこのカテゴリー(記憶遺産)で掲載することに。

      *

そんな中から魔女の写真が目についた。
たいしたオモシロ話もないし、
写真も粗悪だけど今日はこれをカテゴリーの種にしようと決めた。

      *
僕がウイーンへ行ったのは1990年頃。
マラソンの取材と自分の出場を兼ねての仕事だ。

      *

ウイーンの街中ではあちこちで魔女を見た。
魔女と言っても天井からぶら下がっている人形だ。

魔女の意味は僕には分からないが、
日本ではお目にかからないし、
価格も手頃だろうからお土産にと考えていた。

      *

その夜、入った場末の酒場。
中にいたのはアコーディオンを弾くおじさん。

陽気に何曲も歌ってくれる。
それにしても天井から下がっている魔女が気になった。

おばあさん魔女がとてもよく出来ていてしかもどこか可愛い。
これ土産にどうか?

僕は店のマスターにいくらで譲ってくれるかと聞いた。
マスターは日本円で15000円くらいの値段を言ったと思う。

そこで、写真だけ撮らせてもらって購入はあきらめた。

      *

翌年だか翌々年、ウイーンへ出張するスタッフ(勤務時代の事)に
帰りに僕が買いそびれた魔女(に近い物)を買ってきてくれと依頼した。

彼女が買ってきてくれた魔女は
同じ天井から吊り下げ式ではあったが
大きさ半分ほどで出来ははるかに粗雑のいかにも土産品。

値段は日本円で8000円だった。
思えばバブルの真只中だったよなァ。

スキャン_20190117
おばあさん魔女がとてもよく出来ていてしかもどこか可愛い。
スキャン_20190117 - コピー
アコーディオンを弾くおじさんは陽気に何曲も歌ってくれた。

48年前のゴロー散歩は久慈川の土手から袋田の滝・・・・・・あの日の記憶・メモ(1970年頃)。僕と同じ仲間?読書の一日

★いいことだ

昨日休みだった図書館へ行き、
予約してあった本(水滸伝第7巻)を借りに行った。

そのまま図書館内の空いている暖かいソファーで読書。
同じ様なおじさんが4、5人新聞を読んだり雑誌を見たり。

みな僕と同じ年金おじさん?

      *

図書館の帰りにスーパーの食品売り場に寄った。
やっぱり僕と同じようなおじさんがちらほら。

近ごろは土、日ともなればその数がずっと増える。
休日や毎週火曜の特売日にはご夫婦で来るおじさん(人)も多い。

奥さんを連れてくるのか連れられてくるのか
いずれにしてもいいことだ。

      *

モチ、僕は帰ってからも読書の続き。
今日はほぼ読書で過ごした1日だった。

      ☆

★48年前のゴロー散歩・・・・・・あの日の記憶・メモ(1970年頃)
スキャン_20190
まだビオトープさながらの堤防でバッタ、蝶、蛇もいた。
スキャン_20190109
途中から藪漕ぎになった。
スキャン_2019
袋田駅近辺の田園風景。
数年後、ここの風景を描きに再び訪れた。
スキャン_201901
展望台からの袋田の滝。
エレベーターで上がる大展望台はまだなかったと記憶しているが・・・・・・。
スキャン_2019010
展望台から下を見た風景。

★久慈川の土手から袋田の滝・・・・・・あの日の記憶・メモ(1970年頃)


今から48年前(1970年)、僕が結婚して間もない頃だ。
突然、どこかを歩きたくなって家を出た。

鹿島神宮から水戸に出た。
水戸から水郡線に乗りどこかの駅で下りた。

そして久慈川の土手にでた。
そうだあの時はどこか土手を歩こう、どこまでも歩いてみようと思ったのだ。

      *

土手は長くは歩くことが出来なかった。
2時間も歩くと行き止まり・・・・・・というか歩くことが出来ない状況になった。

それが何か建造物に行き当たったか、
土手が無くなっていたのかは覚えていない。

僕は近くの水郡線の駅へ行き、
そこから乗って袋田駅で下りたのではないかと記憶するのだが・・・・・・。

愛猫ニーニャ、愛犬ロデムともに天寿を全う・・・・・・1990~頃。トラウマ

★トラウマ

昨日、今日と近くのイオンへ買い物に行ったほかは家にこもりっぱなし。
少しは本を読んだりキャンバスに向かったりはしたが・・・・・・。

      *

明後日から岩手山へのハイキング(山行)予定がある。
それの準備を始めた。

2日目は避難小屋泊り。
僕的には初めての経験で少々不安も。

経験豊富なリーダー、一緒に同行するメンバーもベテランが多く、
それに初日はケーブルカーを利用すると言うので
そのへんは心強いのだが問題は僕の脚だ。

昨年の松生山で起きた脚の攣(つり)、
今年の2月の塔ノ岳でも攣りそうになって
数人の仲間に協力してもらい荷物を軽くした。

少々トラウマになっているのだ。
レベルは会山行のB。

      ☆

★愛猫ニーニャ、愛犬ロデムともに天寿を全う・・・・・・1990~頃(あの日の記憶・メモ)
スキャン_20180627
ニューニャ。我が家に来てから16年で旅立った。
当時高校生だった娘に見守られて寿命を全うした。
      *
スキャン
ロデム。我が家へは生まれてから半年ほどたってから来た。
とても賢い犬で一度知った人には絶対に吠えなかった。
まだ暗いうちから来る新聞配達人、郵便配達人、近所の人・・・・・・。
初めての訪問者には必ず吠えて家人に知らせた。
早朝まだ暗いうち、僕はよくジョギングに連れて行った。
僕にとってロデムとの思い出は何と言ってもジョギングなのだ。
亡くなる前の晩はか細い声でひと晩中ないて(吠えて)いた。
すると木霊のように必ずどこからか遠吠えがした(聞こえた)。
翌朝7時、僕に見守られながらロデムは息を引き取った。

富士の湧水の美しさ忍野八海(1994年)・・・・・・あの日の記憶・メモ。筑静会新役員会

★会長&議長の筑静会新役員会

民謡稽古の会(筑静会)の新役員会があった。
僕は会長になってしまったので、
今日のような会議の場合は議長をやらなければならない。

早口、そそっかしい、落ち着きがない・・・・・・、
およそ会長とか議長とかからは縁遠い人(材)なのに、
会員の高齢化、減少化で順番が回ってきてしまったわけなのだ。

今日は総会に向けての議案書作り。
これから失敗談や愚痴など掲載することにならぬよう祈るばかりだ。

      ☆

★何度でも行きたい忍野八海(1994年)・・・・・・あの日の記憶・メモ

忍野八海には3回行っているが、
始めて訪れたのは1994年のことだ。

湧水のあまりの透明感(度)、美しさに感動した。
2度目、3度目に見た時も同じ。

3度目は多くの中国人観光客に溢れていた。
僕の何度でも行きたい場所の一つだ。

スキャン_20180510 (2) - コピー
修正を加えていないプリントしたままの色。
水面(湖面)に移った人影の真ん中にカメラを持った僕が映っている。

1998年の大雪の日は娘の成人式だった・・・・・・あの日の記憶

18.1.22 雪景色 (13)
午後2時、我が家のベランダから下を覗いた。

★3枚の雪の日の記憶写真

昼前から降り始めた雪は結局大雪となった。
どうやら夜半頃までは降り続くらしい。

     *

沢山のフェイスブック友達が
雪の便り(投稿)を寄せてしていた。

景色が白一色になるように
心もひとつに・・・・・・そんなわけないか。

      *

大雪が降ると必ず思い浮かべる記憶がある。
1998年の大雪の日の成人式だ。

この日、娘の成人式。
朝、美容院へ送り迎え。

成人式会場は大宮駅前のソニックシティ。
15センチくらいは積もっていたように思う。

移動が出来ないため神社へお参りにも行けず、
写真もろくに撮れず。

せっかく振袖を着たのに・・・・・・の記憶なのだ。

      *

サラリーマン時代、北海道、仙台で冬を越した経験がある。
それは僕の生涯の中で雪と最も近い時期だったともいえよう。

雪を見に、寒さ体験にとあちらこちらと出かけた。
雪の中のジョギング、歩くスキーもやったことがある。

雪の記憶を呼び戻そうと
昔の写真を探そうと段ボール箱を漁(あさ)ったがひと箱目で面倒になってしまった。

で、結局3枚。
そのうちの1枚は娘の成人式の時のもの。
その他はおりおりの機会に・・・・・・。

スキャン_20180122
1998年の娘の成人式にて。会場のソニックシティに向かうところ。
②スキャン_20180122
2000年。最上川沿いをバスで移動中の対岸風景。
①スキャン_20180122
仙台近郊の泉ヶ岳。夏はハイク、冬は歩くスキーの練習に何度も足を運んだ。

1回きりの投網体験・・・・・・1978年かそれ以前。10㎏はある花キャベツの鉢植え

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工房館前を流れる見沼用水も今朝は凍っていた。
CIMG7879_20180115211251a93.jpg
今日のモチーフ。各自選んで好きなのを描けばよい。
左の鉢植えの花キャベツは先生が自転車で自宅から運んできた。

★10㎏はある鉢植えの花キャベツ

今年、最初の絵画教室。
午前9時、大宮工房館に全員が元気に顔をそろえた。

      *

先生がモチーフにと鉢植えの花キャベツ(葉牡丹)を運んできた。
僕が先日描いた花キャベツのバックの修正用にとのことなのだ。

この鉢が重い。
10㎏はある。

先生はこれを自転車に積んで自宅から運んできた。
恐縮してしまうのだが、
それにしても先生は元気。

      ☆

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1978年かそれ以前の1回きりの投網体験。

※カテゴリー"あの日の記憶・メモ"とは古い昔の思い出の掲載。
溜まった写真・データを掘り起こすのは年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつ。
このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

★なるべく遠くへ・・・・・・あの日の記憶・メモ(1978年かそれ以前)

投網の体験はこの一回きりだ。
場所は渡良瀬川。

いつ頃の写真なのか撮影者に確認したのだが、
よく分からなかった。

ただ、1978年かそれ以前ということだけははっきりしている。
いずれにせよ50年かそれ以上前の話(写真)。

      *

投網をなるべく遠くへ、
大きな円を描くように投げるのは難しい。
簡単にできそうでなかなかどうして・・・・・・なのだ。

この時も何度か失敗して、
やっとこさ上手く投げられた。
貴重な一枚なのだ。

豪州一の巨大個人住宅(1990年頃)・・・・・・あの日の記憶・メモ

★一日の反省時間

郵便局へ失敗した15枚の年賀はがきなどを交換に行ったら、
窓口のお姉さんに「お急ぎでなければお年玉くじの発表後に・・・・・」
を勧められた。

そのまま図書館へ本の返却に行ったら今日は代替え休館。

      *

散歩に出れば良かったとか、
キャンバスに向かえばよかったとか、
手紙を書く時間があったのにとか、
本だって読めただろうとか・・・・・・・。

夕方になると一日の反省時間になる。
一日が経つのは本当に早い。

      ☆

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豪州(オーストラリア)一の巨大個人住宅(1990年頃)。

★ホテルと見まごうほど

27、8年前頃に行ったゴールドコースト(豪州)。
運河クルーズ観光を楽しんだ時のショットだ。

運河沿いはどこも大きな家と広い庭。
わけてもこの家は個人住宅では(当時)豪州一と案内された。
(世界一だったかも?)

何平米かは覚えていないが
ホテルと見まごうほど大きい。

      *

町の大きなお土産屋さんに入った。
そこに知っている女性がいた。

仕事を依頼していた編集プロダクションのかわいい子。
ワーキングホリデーで3か月前から滞在しているのだとか。

僕は見栄を張って、
彼女がケースから出してくれた最も高いオパールを買った。

仕事のことはすっかり忘れているが、
そんなことはよく覚えている。


お墓の墓場・・・・・・1997年(宮城県根白石)

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この"お墓の墓場(多分)"は1997年に撮影した(宮城県・根白石にて)。

★イメージでは何十万個の墓石が・・・・・・・

お墓の墓場。

先日、テレビで” お墓の墓場”を紹介していた。
山の中に数万のお墓が並べられている。

全国から不要になり破棄されるお墓が相当数ある。
砕石されて砂利として使用されるものがほとんどらしいのだが、
中に供養としてお墓の墓場に収める。

その数は5000柱にのぼり、
このところ年を追うごとに増えつつあるのだとか。

      *

その頃、あちらこちらの寺を見て回って気づいたことは、
どこのお寺も不要になったお墓の処置に困っているようであった。

そして僕は知り合いのお寺の住職に聞いたのだ。
ゴロー××「どこのお寺も不要の墓石の処理に困っているようですが、
これらを回収する商売がったら利用しますか?」
住職××「しますよ。どこの寺も同じでしょう」

      *

当時、僕は定年後の仕事としてどうだろうかなどと、
真剣に(それほどでもないが)考えていたのだ。

水子地蔵のお寺が秩父にあって、
数万の子供のお地蔵さんが山肌にぎっしりと並び、
同じ数のピンクの風車が回っている。

その壮観な風景が人の心を打つ。
僕はそれを見て思いついたのが"お墓の墓場"だった。

       *

テレビで紹介していた"お墓の墓場"は僕の考えたものにやや近い。
ただ、僕のイメージでは山の頂まで何十万個の墓石が・・・・・・・だった。

まァ、それでも20年後に
実現していた"お墓の墓場"を見たわけだ。

夢の島埋め立て現場へ・・・・・・1950年代の幻

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監督、作業員、そして我々を載せたダルマ舟は塩浜へ帰る。

★あの監督の野郎を・・・・・

あれはいつ頃のことだったか?
僕がまだ高校2年生か3年生の頃だ。
塩浜からダルマ舟に乗った。

同船していたのは作業服を着た男たち。
現場監督らしい背広を着た若い男。

そして家の職人。
と言っても兄2人と僕のことだが。

現場監督は大手建設会社の社員、
男たちは下請け中堅建設会社の作業員、
そして建設会社から直接仕事を頼まれていた我が家(××商店)。

舟は夢の島へ向かう。
夢の島とは東京都民が毎日排出するごみの集積場(捨て場)だ。

まだ、ごみ焼却場が皆無に近いころで、
大半のごみが東京湾(夢の島)に捨てられていた。

その夢の島が満杯になったので、
上から土をかぶせで埋め立てる仕事が出来た。

大手建設会社は、
まず夢の島にとりあえず仮作業場を作ることにした。

仮作業場と言っても、道具や荷物を置いたり、
作業員を休ませるための掘っ立て小屋だ。

××商店はその掘っ立て小屋にトタンを張る仕事を
大手建設会社から頼まれたのだ。

      *

ダルマ舟は30分かあるいは小1時間も乗ったろうか。
夢の島の端に着けられ我々は下りた。

周囲をコンクリート?で囲われた広大な島はあと少しを残して満杯となる。
残されたスペースには水が溜まっていて池のようになっていた。

作業員の一人が「ハゼがいくらでも釣れるんだ」と言った。
それが水たまりでなのか囲いの外の海でなのかは定かでない。

ゴミの臭いはあまり気にならなかったが、
ハエがすごかった。
とにかくハエだらけだった。

      *

昼になって弁当を広げた。
すぐにハエが弁当に群がる。

一匹や2匹ではない。
数十匹のハエだ。

それを手で追い払い、その瞬間に箸でご飯をつまむ。
弁当を食べ終わるまでに何回となくそれを繰り返さねければならなかった。

      *

やがて夕方近くなり作業を終える時間となった。、
監督、作業員、そして我々を載せたダルマ舟は塩浜へ帰る。

その時、船着き場に集まった作業員たちの話し声が聞こえた。
「この仕事が終わったら、あの監督の野郎を海の中へ放り込むんだ」

断片的にか思い出せない幻のような記憶である。

※ウキペディアより=1950年代、東京都内でごみが急増し始め、
それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、
1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。
(夢の島 - 14号埋立地(江東区)(1957年~1967年埋め立て)

      *

※ゴローの記憶遺産"について
何のことはない、古い昔の思い出の掲載だ。
写真はプリントからとデータからのがある。
モチ、プリントはデータより古く20年前以前のもの。
写真も思い出話も押し付けるようで迷惑だとは思う。
しかし、溜まった写真・データを掘り起こすのは
年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつなのだ。
なくべく厳選し、面白い内容にしたい。
さらに、このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

ボートピープルの隔離施設・・・・・・・1980年頃の記憶。魚三昧

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コース途中に見えたのはボートピープルの隔離施設だった(1980年頃)。

★異様な光景が・・・・

中国、広東省の大連が経済特区に指定されたのが1979年こと。
この頃から中国は驚異的な経済発展を遂げる。

香港が中国に返還された1997年よりさらに20年近くも前のことだ。

      *

香港ー大連国際マラソンの第1回目大会が開催されたのもその頃だ。
僕はその大会に(仕事で)カメラを持って参加した。

途中、右側下方に異様な光景が・・・・。
見えたのはボートピープルの隔離施設だった。

※ボートピープルとは  ↓
参考①=ウキペディアより一部抜粋 
・・・・・・・1979年7月、香港が無条件で難民を受け入れる「第一収容港」となってから、
ベトナムのボートピープルは、圧倒的に香港に向かうようになった。香港では、最終
的に20万人以上が受け入れられ、難民は20年以上に渡って、香港の深刻な社会問
題(越南船民問題)となった。経済的負担や犯罪の増加、難民による暴動などが、香
港人にとって大きなマイナスとなったが、香港政府は始終温和な・・・・・・・

参考②=香港のボートピープルに関するブログ
ボートピープルは香港をめざした | MoonbeamsMagazine056

参考③=香港のボートピープルに関するブログ
難民についてのあれこれ 4 <経済難民>
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20150623/1434996596

      ☆

17.6.30 かわはぎの煮つけ  (9)
真ん中の皿がカワハギの煮つけ。

★魚三昧

今日の夕食のおかずは魚三昧。
①カワハギの煮つけ
②タナゴの焼き魚
③カツオの刺身(たたき)

どれも旨かった。

どっちがゴロー?・・・・・・ゴローの記憶遺産その②

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世の中には自分にそっくりな人が3人はいるという事を聞いたことがある。

★どっちがゴロー?

ゴローA××「30年近くも前の事なんだけど、
石垣島(沖縄県)のマラソン大会に出たんだ。

完走してゴール付近で友人を待っていたら、
何処かの雑誌記者みたいな人がインタビューさせてくれって言うんだ。

その記者が僕にそっくりなのでびっくりしたなァ」

      *

ゴローB××「30年近くも前の事なんだけど、
石垣島のマラソン大会の取材に行ったんだ。

ゴールした人から話を聞こうと思って声を掛けたら、
びっくりしたなァ、その人が僕にそっくりなんだ。

僕は思わず"何で俺がそこにいるんだ"って言ってしまった」

      *

さて、右と左のどちらが本当のゴローでしょう。

      *

モチ、僕のことを知っている人なら分かると思うけど、
ちらっとしか見たことがないとか、
もう何年も会ってないとかいう人なら間違えるかも・・・・・。

      *

世の中には自分にそっくりな人が3人はいるという事を聞いたことがある。
本当かどうか定かでないが、
少なくとも一人はいた。

そっくりな人を見ると
見比べた人はなぜか笑う。

偶然に遭遇したことの
おかしみ見たいなものに笑うのだろうと思う。

このときも周囲にいて気づいた人は笑っていた。
僕も笑った。

      *

さて、答えは左のカメラを持っている方がゴローでした。

   *

※ゴローの記憶遺産"について
何のことはない、古い昔の思い出の掲載だ。
写真はプリントからとデータからのがある。
モチ、プリントはデータより古く20年前以前のもの。
写真も思い出話も押し付けるようで迷惑だとは思う。
しかし、溜まった写真・データを掘り起こすのは
年寄り(僕のこと)の楽しみのひとつなのだ。
なくべく厳選し、面白い内容にしたい。
さらに、このカテゴリーが僕のボケ防止の役に立てば幸いなのである。

朝のラジオ体操。我楽多(ガラクタ)はあの日の記憶だ

16.11.15 三橋公園の紅葉とラジオ体操 (7)
紅葉の下の広場で超大きな輪になって体操をしていたのは50人ほど。
写真のピンボケはレンズの汚れです。

★肩こりは運動不足から?

朝の散歩中、
三橋運動公園の広場でラジオ体操に参加した。

膝のけがもほぼ全快、
山行もすでに数回参加している。

右手のしびれもいくらか残ってはいるがほぼ治った。
ただ、なぜか今度は肩が凝る。

ひょっとしてしびれは凝りから?・・・・と整形外科の先生に聞いたら、
「関係ない」と言われた。

でも、パソコンの前に座ってマウスを操作すると凝るのだ。
だから、膝のためにもらっている湿布薬を肩に使っている。

        *

肩こりは運動不足からではないかと思うのだがどうだろうか?
そんなことを思っているときに出会ったラジオ体操だった。

これ幸いと参加したのだが一回だけじゃ・・・・・・・。

       ☆

16.11.15 我楽多 (766)
「勝利の」ハチマキ。買ったいきさつを覚えていない。

★我楽多(ガラクタ)はあの日の記憶だ

昨年引っ越しの際にずいぶん捨てたが、
まだまだガラクタが残っている。

今日はそれぞれ写真を撮って、
捨てるものはじゃんじゃん捨てた。

ガラクタにはどれも思い出がある。
捨てるに忍びないものもあるが仕方がない。

       *

今日紹介のガラクタは『勝利』のハチマキだ。

いつどこで買ったのかは覚えてないが、
使用したのは覚えている。

もう25年くらい前になるのだろうか。
雑誌で募集したマラソンツアーに参加した人の応援で
このハチマキを締めたのだ。

       *

さらに数年後、
地域のバザーで行ったオークションで使用した。

この「勝利」のハチマキと
ハリセンボンでテーブルをたたきながら、
商品の値を釣り上げていった・・・・・・じゃなくて、
売れなくて値を下げて行った。
そんな記憶がある。

増毛の思い出はひと山100円で10個のリンゴ。

16.8.23 ブログ用増毛ほか  (2)
北海道開拓おかき「増毛 甘エビ」。エビの香りと味が濃いおかきだ。
16.8.23 ブログ用増毛ほか  (29)
増毛港でスケッチをしたことも思い出した。

★増毛の思い出はひと山100円で10個のリンゴ

テーブルの上の袋のお菓子を裏返してみたら
"増毛"と大きく書いてある。

袋の両サイドはスペースいっぱいに"北海道"。
増毛の海で採れた甘エビを使用しているおかきだ。

正式な商品名は"北海道開拓おかき「増毛 甘エビ」"。
妻が会社の同僚から夏の旅行のお土産にともらってきた。

      *

増毛は昔その駅名が同じ北海道の幸福駅とともにブームとなった。
僕が増毛を訪れたのもちょうどその頃だ。

もっとも1980年代に高倉健主演の映画『駅』のロケ地になって有名になっていた。
下のブログに駅のあらすじと増毛の様子が詳しく紹介されている。
http://guide.travel.co.jp/article/10314/

秋口に行ったように記憶しているが、
人影も少なく静かなところという印象が残ってる。

駅舎や駅前の旅館、食堂などの建物など、
まだそのままだろうか?

少なくとも、僕が行ったときは映画のロケそのままのたたずまいだった。

      *

日帰りでぶらついただけだが、
町の様子はとても印象に残っている。

帰りに小さな雑貨屋さんのような店で、
ひと山100円で10個のリンゴを買った。

小さいリンゴではあったけれど、
その甘さ、美味しさに度肝を抜かれた。

果肉の大半に甘い蜜がしみ込み,
度肝を抜かれるほどだったのだ。

僕が増毛行ったいちばんの思い出は
今でもそのリンゴの味なのだ。

       ☆

16.8.23 ブログ用増毛ほか  (25)
何でこうなるの・・みたいな。

★映画・NHKBS3Ch「昼下がりの決斗」 1962年 アメリカ

NHKのBSでやるくらいなのだから名作なのだろう。
でも、なんだかよくわからない。

つまり勧善懲悪がはっきりしない。
何でこうなるの・・みたいな。

西部開拓時代はこんなだったのかなァ。
映像はきれいだしテンポがいいので見ていて飽きなかったけれど。

新築物件みたい・・・・建物の補修工事終わる。コンコルドの時代

15.1.22 団地の瑕疵補修終了 ・コンコルド(18)
階段床も靴音が響かないよう防音シートが貼られた。

★築25年目の補修工事終わる

玄関扉の隙間を埋める緩衝材の交換を最後に
団地の瑕疵補修工事が終わったようだ。

昨年の10月に入居した時には始まっていた工事だから、
3ヶ月ほどかかったことになる。

築約25年目の大工事だったみたい。

我が家は入居の際(家の)中もリフォームしているので、
おかげで新築物件に引っ越してきたようだ。

管理組合の役員の方々、ほんとうにご苦労様でした・・・・なのだ。

       ☆

15.1.22 団地の瑕疵補修終了 ・コンコルド(2)
40年前の1月21日はコンコルドが営業を開始した日。

★コンコルドはかっこよかった

昨日の朝のテレ番でコンコルドの話をしていた。
かって音速の2倍という速さで大西洋を飛んでいた飛行機だ。

40年前の1月21日に商業運航を開始、2003年に終了。
2000年に起きた墜落事故がその理由のひとつとある(ネットより)。

その墜落の原因を
You tube
コンコルド墜落事故 衝撃の瞬間
見る(知)ることができる。

     *

日本にも5回飛来してきているとか。
僕も一度ニューヨークの空港で着陸するコンコルドを見たことがある。
とにかくかっこいい。
かっこよかった。

巨人・大鵬・卵焼き世代のは、
コンコルドの時代でもあったわけだ。
あッ、それからビートルズの時代でもあったなァ。

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