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ゴローのビエンチャン・記憶遺産 Archive

ロマンの夕日と悲劇のモン族・・・・・・・2012年(ビエンチャン)。映画「西住戦車長傳」「上陸第一歩」

昨日の3.5㎏ザック背負いのリハビリ歩行初日は
思いのほか腰痛に響かなかった。

それでもわずかに痛みは感じるので用心のため、
ザックを背負わず、時間、歩数ともに減らして2回目のリハリビ散歩を試みた。

う~ん、やっぱりちょっと・・・・・・みたいな。
帰ってから(腰に)コルセットを装着した。

      *

★メコン川の夕日とモン族の店・・・・・・2012年・ルアンバパーン、ビエンチャン

※“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

      *

メコン川で見る夕日はいつも霞んでいた。
そんな気がするのは高い気温と湿度のせいなのか?

マニラやワイキキや日本海に沈む夕日は、
燃えるように赤く大きかったように記憶している。

それに比べて、
メコン川で見た夕日は控えめに静かに消えていった。

海の夕日は沈むけれど、川の夕日は消えていく。
それだけにロマンを感じるのだ。

      *

モン族とはラオスの山岳(少数)民族のひとつ。
彼らはベトナム戦争時、米軍の傭兵となって駆り出された。

戦争が終結し米軍が去った時から
残されたモン族に悲劇が始まる。

米軍に協力したことで多くのモン族が虐殺され、
また難民として国外脱出した。

      *

現在はどうなっているかは定かでないが、
下記(写真)は僕が滞在していた頃の店(建物)だ。

この建物は(僕が)帰国する直前に取り壊されていた。
(※取り壊し中の写真も撮影済、後日探しておきます)
建て直すのかと聞いたらそうではないと言う。

その3年後、ビエンチャンを訪れた時、
モン族の店は別な場所にあった。

中央バスターミナル付近の歩道。
商品は路上に敷かれたシートの上に並べられていた。

11.2.25-27ルアンパバーン④ (18)
ルアンバパーン・プーシーの丘。
2 12.2.29ノンカイ・メコン川の夕日1 (142)
タイとの国境(友好橋)。
      *
3 12.12.6モン族の店の通り (6)
4 12.12.6モン族の店の通り (9)
5 12.12.6モン族の店の通り (12)
6 12.12.6モン族の店の通り (14)
7 12.12.6モン族の店の通り (18)
並べられている商品は道具類、信仰(おまじない)に関わる物、薬草類がほとんど。
8 12.12.6モン族の店の通り (34)
シルク生地の店。
店のおばさんは手織りだと言うのだが・・・・・・僕には?に見えた。
モン族の人かと聞いたらラオス人だと答えた。
さらに、ここにはモン族は一人もいないと言っていた。
9 12.12.6モン族の店の通り (23)
工芸品、お土産などの店。
10 CIMG7041 (2)
孫に土産にと買ったが、結局、孫たちは着なかった。
インテリアの飾り物になると思うが・・・・・・・。
織物・バッグは本当に山でモン族が使用していたもので年期が入っている。
11 CIMG7044 (2)
絵の教室の生徒たちに手に取ってもらいデジカメ。

      ☆

★映画2本
12 20.6.7 リハビリ散歩2回目西コース 蜂? (27)

・「西住戦車長傳」=吉村公三郎監督1940年

国策映画。
原作は菊池寛が軍から依頼を受け書いたもの(ネットより)。
太平洋戦争突入直前の作品でそれなりに理由がわかる。
戦死を美化、天皇陛下万歳と言って死ぬ兵士など
戦争(出征兵士)への心構えを伝えるような内容だ。
男ばかりの出演の中で紅一点
桑野通子(僕がファン)がちょい役で出ている。
日本軍に助けられながらも逃げ出してしまう中国女性役で、
やっぱり彼女の美人度にふさわしくない役じゃん。
中国戦線の実戦映像を使っているとかで
戦闘シーンは迫力十分。
この年のキネマ旬報2位。
      *
13 IMG_8080 (2)

・「上陸第一歩」=島津保次郎監督1932年

アメリカ映画「紐育の波止場」を日本版の置き変えたもの(ネットより)。
さもありなんというラブ・ストーリーだ。
男(岡譲二)の台詞、喧嘩のシーン、
女(水谷八重子)の台詞、振舞・素行も
気質なのかやくざなのか分からない風で日本的じゃないし・・・・・・・。
大家か掃除のおばさんかで出てくる飯田蝶子が
35歳、女優となって10年目で若~い。
この年のキネマ旬報8位。

美しき回廊・・・・・・2011年(ラオス・ビエンチャン)。NHKBS「激動の世界を行く」「空港ピアノ」。映画「浅草の灯」「若い人」

★6000余体もの仏像を安置➀・・・・・・2011年(ビエンチャン・記憶遺産 ワット・シーサケット)

※"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

      *

ワット・シーサケットはラオスの首都ビエンチャンの中心部にある。
16世紀に建てられたビエンチャン最古の寺で
本堂、回廊あわせて大小6000余体もの仏像が安置されている。

お寺はビエンチャン滞在中に僕が住んでいたアパート・オフィスから
自転車で10分もかからない場所にあった。

美しい回廊に魅かれて何度も訪れた。
✩明日に続く

1 11.11.30ワットシーサケート (5)
本堂はビエンチャン様式のベランダを有する貴重な歴史的建造物だとか。
2 11.10.10サイクリング 2回目 (71)
本堂を取り囲む美しい回廊。
壁に掘られた穴にはそれぞれ2体ずつの仏像(1体の箇所有))が安置されている。
3 11.10.10サイクリング 2回目 (80)
4 11.10.10サイクリング 2回目 (46)
5 11.10.10サイクリング 2回目 (62)
6 11.10.10サイクリング 2回目 (55)
7 11.10.10サイクリング 2回目 (66)
8 11.10.10サイクリング 2回目 (81)
9 11.10.10サイクリング 2回目 (74)
10 11.11.30ワットシーサケート (13)
ワット・シーサケットの入り口。
入場料は10000キップ(110円前後・僕の在老中は5000キップだった)

      ☆

NHKBS2本
12 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (7)
・「激動の世界を行く “負の歴史乗り越え勝ち得た民主主義”

香港と台湾からのドキュメント映像。
      *
13 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (20)
・「空港ピアノ」ミネアポリス

空港に置かれているピアノを通りすがりの人が弾く。
演奏もいいけれど
弾き終わった後に演者が述べる人生の一言がいい。
      
      ☆

★映画2本
14 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (52)
・「浅草の灯」島津保次郎監督1937年

戦前の浅草の演劇(舞台)の世界を垣間見たような・・・・・・・。
ちょっとしか出ないが杉村春子はやっぱりスゴイ、上手いなァ。
この年のキネマ旬報10位。
      *
15 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (67)
16 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (88)
18 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (95)
19 20.5.2  映画「浅草の灯」「若い人」NHKBS (102)
・「若い人」豊田四郎監督1937年

修学旅行のシーンでは自分の高校生の頃を思い出した。
1937年の作品とは思えないくらい。
この年のキネマ旬報6位。
      *
字幕が出てくるのだけれど、ほとんど意味が通じない。
3場面の字幕のみを掲載した。
モチ、台詞は日本語なのだから、
いったいこの字幕は誰が誰のために入れたのだろうか。

車窓に自然と素朴を見た帰路・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第5回。映画「歌行燈」ほか

来月行く予定だったゴルフをキャンセルした。
エントリーしてくれた妹に電話をしたところ、
近くのゴルフ場も休業はしていないがプレーはスルーなのだとか。

スルーとは受付したあとは間を開けてプレーをさせ、
ハーフの休憩も昼食も風呂もなしで終えるということ(らしい)のだ。

      *

コロナの収束は先が見えないし、
僕の腰の痛みも治っていないし・・・・・・。

      ☆

★美しい自然と素朴な生活を見た帰路9時間・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第5回(最終回)

高速道路があるわけでなし、
国道と言えどもあちらこちらに凸凹も。

乗っているバスも故障するし、
道路をふさぐ事故にも出くわす。

・・・・・・とまァ、帰路はそんなバスの旅だった。
車窓から景色を見るのが好きな僕には、
ゆったり、のんびりのいいバス旅だった。

空を一気にまたいで着いてしまった行きと違って
帰路は美しい景色と素朴な人々の生活を
間近に見ることが出来たのだ。

      *

“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

1 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (11)
シャムリアップのバスターミナル。
長距離路線バスでビエンチャンまで帰った。
2 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (13)
車窓の素朴な風景。
3 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (19)
しばらく走ったらバスがストップ。
何処か故障したらしい。
運転手が修理をする間、20分ほど待たされた。
4 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (20)
バスの下に潜り込んで修理をする運転手。
5 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (23)
牛優先の国道。
6 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (52)
車窓から。
7 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (60)
ぬかるみにハマって動けない車。
代替えの車に荷物の積み替えをしていた。
片側通行でここでも20分ほど待たされ、乗客全員バスから降りた。
8 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (69)
車窓から。
9 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (74)
途中休憩の市場。
乗客も降りて買い物したりで時間をつぶす。
疲れを癒し、楽しいひと時でもあった。
10 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (77)
焼き芋と焼きバナナを売っていたお姉さん。
僕はどっちを食べたのか忘れた。
13 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (113)
車窓から。
14 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (124)
トイレ休憩(停車)。
モチ、ドライブインとか道の駅などはない。
男女ともめいめい自分で場所を探して用足し。
15 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (125)
車窓から。
16 12 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (106)
食堂で停車。
めいめい食事をした。
17 11 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (99)
車窓から。
18 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (116)
車窓から。
19 11.11.17バスの旅 シェンクワンからビエンチャンへの続き (117)
ところどころの街道筋に店が並び
その地方の名産品が売られている。
運転手さんに言えばバスを止めてくれる。

      ☆

★映画2本
20 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (13)
・「必殺仕掛人「」=渡辺祐介監督1973年
原作は池波正太郎。
原作は読んでいないがテレビでは何本か見てる。
左から山村聰、高橋幸治、田宮二郎。
俳優は違っているけどテレビの方が迫力あったかなァ。
      *
21 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (239)
・「歌行燈」成瀬巳喜男監督1943年
原作は泉鏡花、脚本が久保田万太郎、監督が成瀬巳喜男、
主演が花柳章太郎と山田五十鈴・・・・・。
これだけの役者がそろえばGooでないわけがない。
1943年戦争のためはキネマ旬報ベスト10はない。
あれば間違いなく上位だと思った。
それにしても花柳は長谷川一夫かと思うくらいいい男、
山田五十鈴は僕が見た中ではいちばん美しい(Goo)。

      *

★YoutubeYoutubeTV2本
22 20.4.17 古関裕而と西条八十ほか (33)
・「開高健のモンゴル大紀行」①②
モンゴルの奥地巨大イトウ(魚)を釣るドキュメンタリー風旅番組。
1987年と1988年の2度の記録。
見ごたえあり。
      *
23 20.4.17 古関裕而と西条八十ほか (40)
・「大衆音楽を世に広めた偉人と詩人 小関裕而と西条八十。
どちらも僕が成人になるまで現役で活躍していた人。
毎夜のようにテレビで見たり聞いたりの思い出あり。
見ごたえあり。

世界遺産・高地民族の村と足湯・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第4回。春散歩の風景

★春の散歩が満たされる理由

理由は簡単だ。
新緑がまぶしい。

花がきれい。
色が鮮やか。

今日の歩数は5000歩あまり。
満たされた小1時間の散歩だった。

A 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (126)
家から10分ほどの風景。
B 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (65)
薄桃色(ほとんど白い)の八重桜。
D 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (121)
コロナ休みの子供たち。
遊び場を見つけたようだ。
「何を取っているの」と聞いたら
真っ黒な泥に染まったザリガニを見せてくれた。
D 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (120)
畑の芝桜。
E 20.4.16 散歩、映画歌行燈ほか (67)
散歩道を塞ぐアブラナ。

      ☆

★高地の村の温泉は熱かった・・・・・・世界遺産・ジャール平原の旅 (2011年)第4回

3ヵ所の高地民族の村を訪問した(回った)。
最初の村が一番高い場所であり温泉があった。

河岸に湧き出る湯は熱く、
足湯しかできなかったが長~く浸かっていたいほど
風光明媚な中のどかなひとときだった。

      *

2番目に訪れた村は3つの中では一番大きい。
ほんのちょっぴりだが住む人々と生活に触れ対話をすることも出来た。

3番目の村はベトナム戦争時に大きな犠牲を払った村。
砲弾を利用した小屋で有名なところだ。

その小屋は粉ひきをする作業小屋。
僕は迷惑も顧みず手伝わせて(挽かせて)もらった。
思い出深い体験となった。

      *

“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

1 11.11.16シェンクワン第2日 (127)
最初に訪れた村の温泉。
ここでは足湯しかできなかったが、
湯舟を作ればいい温泉場かも。
2 11.11.16シェンクワン第2日 (155)
高床式の家が並ぶ高地民族の村。
3 11.11.16シェンクワン第2日 (158)
少年に声を掛けたが何を話したか忘れてしまった。
4 11.11.16シェンクワン第2日 (146)
道路脇の家で機織りをしていたお姉さん。
ツアーで一緒だった人が売ってくれと頼んでいた。
5 11.11.16シェンクワン第2日 (159)
高地の陸稲(多分)。
      *
6 11.11.16シェンクワン第2日 (169)
2番目に訪れた村。
家も本格的高床式建築。
7 11.11.16シェンクワン第2日 (189)
村のメインストリート。
8 11.11.16シェンクワン第2日 (199)
高床式の床下の役割はたくさん。
9 11.11.16シェンクワン第2日 (184)
村の中を散策していると、弓を手にしたおじさんに会った。
手製の弓で鳥や獣を打ち落とすのだ。
おじさんは弓の打ち方、狙い方を手取りに教えてくれた。
10 11.11.16シェンクワン第2日 (180)
ぱったりあった親子3人。
11 11.11.16シェンクワン第2日 (163)
床下は機織りの作業場。
12 11.11.16シェンクワン第2日 (202)
子供たちにお小遣いをあげたら、皆すぐにお店に行った。
13 11.11.16シェンクワン第2日 (203)
皮むき仕事をしながら売っている?美人お姉さん。
14 11.11.16シェンクワン第2日 (214)
村は動物たちと一緒の暮らし。
15 11.11.16シェンクワン第2日 (192)
平地の田んぼ(陸稲)。
平地と言っても海抜は1000m以上だ。
      *
16 11.11.16シェンクワン第2日 (220)
3番目に訪れた村。
子供たちが多かった。
17 11.11.16シェンクワン第2日 (232)
18 11.11.16シェンクワン第2日 (231)
有名な砲弾の土台の家。
19 11.11.16シェンクワン第2日 (215)
ここでも子供が大活躍。
20 11.11.16シェンクワン第2日 (217)
小屋は粉ひき作業場。
21 11.11.16シェンクワン第2日 (225)
作業中の子に頼んで替ってもらった。
手にした横棒を引くと自動的に戻る仕掛けで
お婆さんが臼に入れた実が挽かれる。
横棒引きを何度も繰り返すのでけっこう疲れる。
22 11.11.16シェンクワン第2日 (218)
戦火のすさまじさを語る爆弾(不発弾)。
わずかな戸数の村にどれほどの爆弾が落とされたのか。

世界遺産・謎の石壺と悲劇の洞窟・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第3回

20.4.15 鈴木医院と散歩  (8)
20.4.15 鈴木医院と散歩  (4)

『新型コロナウイルスのPCR検査はできません』

通いつけの医院の前を通ったらお知らせが。
そーだろうなァ・・・・・・と、思っていた。

来月の半ばにG医大で内視鏡検査の予定なのだけど、
どーするか(延期するか)迷っている。

      ☆

★大小400、謎の壺の光景・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第3回

ジャール(シエンクワーン)平原と付近に散在する石壺を
あわせると400個以上になるらしい。
作られたのは紀元前500 - 西暦800年だとか。
その目的は謎が多く、一説には骨壷、食料貯蔵などの容器とも。

      *

ベトナム戦争当時、
この高原にも多くの爆弾が投下された。

その痕跡がいまでもそのまま。
不発弾が埋もれているので道路以外の草むらなどには
絶対に入らないようにとガイドさんから注意された。

      *

“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

1 11.11.16シェンクワン第2日 (78)
2 11.11.16シェンクワン第2日 (64)
3 11.11.16シェンクワン第2日 (67)
4 11.11.16シェンクワン第2日 (62)
5 11.11.16シェンクワン第2日 (73)
6 11.11.16シェンクワン第2日 (70)
7 11.11.16シェンクワン第2日 (82)
大きくへこんでいるいるのは爆弾が投下された跡。
こんなくぼみ(穴)がジャール平原のあちらこちらで見られるのだ。
8 11.11.16シェンクワン第2日 (80)
洞穴は住民たちの避難場所だった。
9 11.11.16シェンクワン第2日 (79)
洞穴の中の灯りは天井部分の穴。
10 11.11.16シェンクワン第2日 (84)
同じツアーの車に乗り合わせたラオスの美人さん。
もしかしてツアー会社の人かも知れない。
前日、オフィスで見かけたし・・・・・・。
11 11.11.16シェンクワン第2日 (89)
11.5 11.11.16シェンクワン第2日 (81)
12 11.11.16シェンクワン第2日 (92)
       *
★悲劇の洞窟・・・・・・タムピューの洞窟

一般の病院として使用されていた洞窟にアメリカ軍はロケット弾攻撃。
中にいた374名の(一般)市民が殺されたと言われる。

入り口から10mほど入ったところでロープが張られていた。
懐中電灯があればもっと奥を映せたのに残念だった。

      *

タムピューの洞窟の洞窟と明日掲載予定の山岳民族の住宅・村めぐりは
石壺群とセットになっている観光コースなのだ。

13 11.11.16シェンクワン第2日 (108)
タムピュー洞窟の入口。
14 11.11.16シェンクワン第2日 (107)
洞窟は山の中腹にある。
洞窟入り口を背に見下ろすと手前に建設中の仏像、
とその先の赤い屋根の洞窟博物館が見える。
15 11.11.16シェンクワン第2日 (113)
洞窟入り口付近にいた昆虫はバッタかカマキリ?
16 11.11.16シェンクワン第2日 (100)
博物館内に飾られていた洞窟内の様子。
17 11.11.16シェンクワン第2日 (102)
右側を拡大。
ロケット弾攻撃を受けた後の様子が描かれている。
18 11.11.16シェンクワン第2日 (103)
ショーケースの中の髑髏。
19 11.11.16シェンクワン第2日 (116)
見学を終えて。
せせらぎと竹の橋の周りを美しい蝶が何頭も飛び交っていた。
心に残る光景となった。

市場と獣を売る露店・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第2回。TVドラマ「イエスの方舟」。映画「新女性問答」

姉から電話があった。
月一ぐらいで入る無事安否伺いの電話だ。

姉××「民謡唄ってる?
ハーモニカ練習するなら教則本送るわよ・・・・
・・・・・・・あら、もう30分もなるかしら?」
ゴロー××「そうね、もう小1時間だよ」
姉××「じゃ、そろそろ切るわ」

89歳になる電話口の声はまだ若々しい。
姉は元気だ。
 
      *

★山猫?ムササビ?リス?ネズミ?・・・・・・ジャール平原の旅 (2011年)第2回。

市場は街(シェムリアップ)のほぼ中心にあった。
ビエンチャンで見ている大きな市場とは比べるべくもない。

店に並んでいるものはオーガニック(自然食品)そのもの。
1人(軒)の受けもつ販売スペースも小さく、種類も少ない。

市場の中も掛け声が聞こえるわけでもなくいたって静か。
直接地面に品を並べているおばさんとお客らしい人が値段交渉?

赤ちゃんをおんぶして店番をしてる子供。
見たことのない野菜?木の枝みたいなものは何?
蜂も蜂の子もついたままの蜂蜜(鉢の巣)。

写真には撮れなかったが生きた子豚も売っていた。
値段を聞いたら1頭5000円(多分)。

      *

露天の店で見たのは獣。
もちろん今ではラオスでも禁止されているはずだ。

ビエンチャンの市場でも時々売られていたが、
カメラを向けると睨まれ怒られた。
モチ、撮影不可だった。

シェリムアップの露天に釣る下げれていたのは何か?
もしかして山猫?ムササビ?リス?ネズミ?・・・・・・・。
 
      *

※“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

1 11.11.15シェンクワン第1日 (146)
市場は街(シェムリアップ)のほぼ中心にあった。
2 11.11.15シェンクワン第1日 (84)
お米。
3 11.11.15シェンクワン第1日 (67)
サトウキビ。
4 11.11.15シェンクワン第1日 (73)
5 11.11.15シェンクワン第1日 (150)
値段交渉?
6 11.11.15シェンクワン第1日 (134)
これも?
10 11.11.15シェンクワン第1日 (110)
自然食品。
14 11.11.15シェンクワン第1日 (121)
薬か薬味か調味料に使う?
7 11.11.15シェンクワン第1日 (137)
工具・農耕具。
9 11.11.15シェンクワン第1日 (140)
高地の人々のおんぶ(抱っこ)の仕方?
11.11.15シェンクワン第1日 (99)
11.11.16シェンクワン第2日 (243)
11 11.11.15シェンクワン第1日 (93)
生きた鶏の値段交渉?
12 11.11.16シェンクワン第2日 (246)
蜂の子。
13 11.11.15シェンクワン第1日 (143)
炭は煮炊きの大切な燃料。
15 11.11.16シェンクワン第2日 (235)
山猫?
16 11.11.16シェンクワン第2日 (236)
ムササビ?リス?ネズミ?
17 11.11.16シェンクワン第2日 (242)
獣が吊るされていた店。
18 11.11.15シェンクワン第1日 (64)
雑貨を商う店は多い。

      ☆

19 20.4.15 映画 イエスの方舟 (8)
★TVドラマ「イエスの方舟 イエスと呼ばれた男と19人の女たち」山泉脩監督1985年
昭和60年度文化庁芸術作品賞受賞作品。
ビートたけし主演。
当時起きた事件(実話)の映画化。
マスコミがハーレム扱いしたこの事件をモチ僕も覚えている。
サリン事件(河野さんの誤認報道)もそうだったけれど、
冤罪事件には必ずと言っていいくらいマスコミが大きな役割を担う。
デマを煽るのはいつもマスコミ。
マスコミも視聴者(僕も含む)もそれに気付いていないだけ
・・・・・・と、このドラマを見て改めて思った。
      *
20.4.13 映画 聞けわだつみの声ほか (22)
★映画「新女性問答」佐々木康監督1939年
桑野通子主の主演映画は3本しかないらしいが、
この作品はその中の貴重な1本。
彼女は31歳の早世が惜しまれる美女。
      *
自立していく女性を描くのは当時では画期的?
弁護士になる桑野通子がカッコイイ。

世界遺産・ジャール平原の旅 第1回 シェムリアップ・・・・・・2011年。 映画「きけわだつみの声」NHKTV「富士山 水めぐる旅」

今日の歩数は761歩。
家から一歩も出ていない。

ゴミ捨てに出なかったし、
イオンへ買い物にも行かなかった。
雨は降るし、寒いし、コロナは心配だし・・・・・・。

そー言えば、僕的には珍しく長電話を2本かけた。
話す内容は・・・に決まっている。

      ☆

★標高1000mの静寂の町シェムリアップ・・・・・・世界遺産・ジャール平原の旅  第1回 
  
ジャール平原の旅を5回に分けて紹介。
第1回 標高1000mの静寂の町シェリムリアップ
第2回 街の市場
第3回 謎の壺群と悲劇の洞窟
第4回 高地に住む人と生活
第5回 帰路、長距離バスからの風景

※“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

      *

ジャール平原の世界遺産と言えば謎の石壺。
大小400もの石壺はいったい何のために作られたのか?
いまだにその謎は解かれていないらしい。

      *

2011年11月、ビエンチャンのワッタイ空港から
僕の2泊3日のジャール平原の旅が始まった。

1 11.11.15シェンクワン第1日 (22)
シェリムアップ空港に到着。
正面の建物はエアーターミナル。
2 11.11.15シェンクワン第1日 (30)
ターミナル前に待合室と食堂を兼ねた家がポツンと1軒。
地元のツアー会社の車がホテルまで運んでくれた。
3 11.11.15シェンクワン第1日 (47)
宿泊したホテル。
1泊800円くらいだったか。
4 11.11.15シェンクワン第1日 (58)
シャムリアップのメインストリート。
空港に着いた時からずっと静か。
路地を歩いていても、
広い通りに出てみても物音ひとつ聞こえなかった。
5 11.11.15シェンクワン第1日 (60)
あちらこちらに置かれている空砲弾(不発弾)。
ベトナム戦争当時米軍が落とした爆弾は300万トンとも伝えられる。
当時のラオスの人口が300万人、1人あたり1トンになる計算だ。
6 11.11.16シェンクワン第2日 (55)
ナパーム弾はじめあらゆる種類の爆弾が投下された。
不発弾の悲劇は今だに続いている。
7 11.11.15シェンクワン第1日 (154)
床屋を発見。
入ろうかと思ったのだけれど、
待っている人がいるようなのでやめた。
9 11.11.16シェンクワン第2日 (24)
メイン通りから路地に入ると建物は一変する。
10 11.11.16シェンクワン第2日 (32)
住宅は高床式。
11 11.11.16シェンクワン第2日 (36)
炭か薪を運搬。
シェリムアップは標高1000mの高原。
冬は雪が降るほどの寒さだ。
11.11.15シェンクワン第1日 (174)
初めてきた町なのにお使いを頼まれていた。
宿から5㎞ほどのある家に届け物だ。
ツアー会社のお兄さんに電話をしてもらい、ついでに送り迎えしてもらって無事届けた。
奥さんと娘さんが大喜び。
届け物の中身は僕の生徒(お孫さんだったらしい)の作品(絵)だった。
お茶をご馳走になった。
12 8 11.11.15シェンクワン第1日 (166)
食事をした店にいた母子。
14 11.11.17 シェンクワン→ビエンチャンバスの旅 (18)
2日目の朝は寒く、ガスってもいた。
タムブン(お布施)に回るお坊さんたちは裸足だ。
15_202004131924545f4.jpg
子供が多かった。

      ☆

16 20.4.13 映画 聞けわだつみの声ほか (3)
★映画「きけわだつみの声」関川秀雄監督1950年
正式タイトルは『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』。
日本で最初の反戦映画(ウキペディア)。
インパール作戦での戦没学生の手記をもと脚本が書かれたらしい。
パプアニューギニアで戦死している(僕の)叔父もと思い浮かべてしまう。
      *
17 20.4.13 映画 聞けわだつみの声ほか (39)
★NHKTV「富士山 水めぐる旅」
忍野八海の湧池に潜っての撮影を見た。
何十年か前のことだが、
僕が勤めていた会社のカメラマンが
この湧池の水中洞窟の撮影に挑み、
そのまま帰らなかったとの話を聞いている。
そんなことで興味深く見たのだ。

コロナ休校で孫3人をあずかりました。凱旋門のブーゲンビリア・・・・・・ビエンチャン・2011年

20.3.4 孫遊びの (6)
勉強したり粘土遊びや絵合わせカルタ。

★みんなで協力

コロナ休校で今週は今日と明日、
来週も2日間あずかる予定。

あずかった孫は小学生2人と幼稚園1人。
勉強したり粘土遊びや絵合わせカルタ。
ママが迎えに来るまで3人3様で時間つぶし。

飽きれば揃ってゲームに・・・・・・。
子供たちも働く親も、そして爺も婆もみんなで協力だァ。

      ☆

★凱旋門のブーゲンビリア・・・・・・2011年(ラオス・ビエンチャン)

観光に訪れた人は必ず寄る(多分)ビエンチャンの凱旋門。
周囲は首相府、最高裁判所、大使館など
重要建物が並ぶ国の中心地でもある。

海外からの観光客、ビジネスの人、地方からのお上りさん等々、
常に多くの人々で賑わっている。

ブーゲンビリアの花は、凱旋門の広場をパッと明るくする。
人の心も晴れ晴れと明るくなったような・・・・・・。

11.11.24ハイビスカス凱旋門 (4)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (11)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (13)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (16)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (17)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (19)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (21)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (28)
11.11.24ハイビスカス凱旋門 (29)

昔のままが残る国の貴重な風景・・・・・・ゴローのビエンチャン・記憶遺産

★七輪と炭火

娘からラインが入った。
内容は娘の勤めている会社がラオスに進出するのだという事。

父親(僕)が3年ほど世話になった国、
しかも東南アジアの小さな国に進出することでビックリしたのかも。

      *

一昨日、タイでオフィスを構えている友人に会った。
タイ、ラオスと日本を行ったり来たりと動き回っている彼によると、
ラオスはいま中国の進出が凄まじいのだとか。

もうすぐ高速鉄道が開通するらしい。
鉄道、高速道路のない国が近代化するのも間近か?

      *

僕はビエンチャン滞在中の2011~2014年の間に、
何度かラオス国内を旅行した。

何処を訪れても自然がいっぱい。
大きな街へ行っても高層ビルは見ない。
昔のままが残る貴重な風景に出会う。

首都のビエンチャンですら都市ガスはなし。
庶民のほとんどは米を炊く燃料は七輪に炭火。

     *

くしくも今日のブログの投稿中にYoutubeで見ていたのは、
関口宏の“知ってるつもり”(1990年放映)のレイチェル・カーソン。
化学物質の危険性を書いた「沈黙の春」の著者だ。

※レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson、
1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、
アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、
1960年代に環境問題を告発した生物学者。
アメリカ内務省魚類野生生物局の水産生物学者として自然科学を研究した。
(ウキペディアから転載))。

      *
日本もラオスも、そして世界中が
自然も風景も昔のままを残して欲しいと願うばかりだ。

11.2.25-27ルアンパバーン④ (185)
北部の世界遺産都市ルアンパパーン近郊の山岳民族の村にて。
決して観光用ではなく日常の光景なのだ。

乗ってみたい?ラオスのフェリー(2011年)。Youtube映画「銀の匙」

★いちどは乗りたいラオスの(川を渡る)フェリー   2011年(ラオス・シーパンドン)
11.2.28-2パクセー②ワットポーほか (116)
この写真(フェリー)を見て『乗ってみたい』と思う人は多いのでは?

◆“ゴローのビエンチャン・記憶遺産”は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

      ☆

19.4.27 Youtube映画 銀の匙  (9)
内容も役者も若さに満ちた作品。

★Youtube 映画「銀の匙」 2014年

中国語の字幕だが、
映画の中のセリフは全部ママ(日本語)。

2014年とは5年前の映画だ。
僕がYoutubeで見た映画の中では多分いちばん新しい作品。

映画の内容も役者も若さに満ちた作品。
原作が週刊少年サンデー連載の漫画というので何となく納得。

      ☆

※明日から3日間(ないし4日間)旅行のためブログお休みします。

バンビエンの牧歌な村・・・・・・2011年・ビエンチャン・記憶遺産

★1524歩

今日の歩数は1524歩。
今年になって寝ていた2日間0歩以外の日ではいちばん少ない。

因みにいちばん多かったのが11日の鐘撞堂山(かねつきどう)ひとりハイクの24986歩。
一日家にいて、外出はイオンへの買い物や図書館ぐらいの日はだいたい2000~3000歩。

最近は散歩にも出なくなってしまったしなァ。

      ☆

★バンビエンの牧歌な村・・・・・・2011年・ゴローのビエンチャン・記憶遺産

※"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

✩同じ広場で活動する人と動物たち

バンビエンはラオスの首都ビエンチャンから北へバスで4時間ほどのリゾート地。
風光明媚、ビエンチャンから近いこともあって欧米人たちに人気だ。

僕は在老中2度、
その後も植林イベントで2度と4回訪問している。

     *

今日の写真は最初の訪問時。
バンビエン近郊の牧歌的な村を訪問した際のものだ。

ニワトリ、豚、犬、牛、ヤギ・・・・・・村の中央のちょっとした広場では
人と動物たちが一緒になって活動している。

作業をしているおばあさん、
遊ぶ子供、
餌をついばむ動物たち・・・・・・。

川では子供たちが泳ぎ魚獲りをしていた。

1 11.11.2バンビエン1日目 (134)
道の柵を超えると広~い田んぼ。
2 11.11.2バンビエン12 日目 (143)
たまたま案内を頼んだガイドさんがこの村の近くの出身らしく、
彼は僕を村の中にほったらかして(つまり自由行動)でしばらく帰ってこない。
3 11.11.2バンビエン1日目 (183)
村に向かう竹の橋。
6 11.11.2バンビエン1日目 (80)
村の中心に向かうこちらの橋では通行料を払った。
4 11.11.2バンビエン1日目 (44)
風光明媚なバンビエンは白人に大人気。
5 11.11.2バンビエン1日目 (66)
牛は道路のあちらこちらに。
モチ、車はストップ、牛たち優先。
7 11.11.2バンビエン1日目 (119)
村の中央のちょっとした広場では人と動物たちが一緒だ。
8 11.11.2バンビエン1日目 (130)
道路の柵は村の動物たちが勝手に外へ出ないため。
9 11.11.2バンビエン1日目 (87)
橋を渡り村に入ると正面にあるのはお寺。
村の中央の広場より広い庭。
10.jpg
牛とニワトリも仲良さそう。
11 11.11.2バンビエン1日目 (172)
井戸端会議?声を掛けるとみな笑顔で答えてくれる。
13 11.11.2バンビエン1日目 (28)
これから畑へ(村へ向かう国道で)。
12 11.11.2バンビエン1日目 (210)
川で泳いでいた少年たち。
ガイドさんが子供たちと一緒に泳いでいた。
そのうち銛で魚とりを始め、刺した魚を自慢げに見せる。
ガイドさんと話し合って子供たちにいくばくかのお小遣いをあげた。
モチ、子供たちは大喜びだ。

ラッキーな風邪休み?。『むかし森だった頃の面影』……2013年(ラオス・ビエンチャン近郊)。いとしさと黄昏と・・・・・・今日の柿の木

★充実の風邪休み?

小学年の孫が風邪で学校をお休み。

我が家(爺の家)へきてDVDを見て、ゲームをやって、
孫にはラッキーな充実の風邪休み?

      ☆

★『むかし森だった頃の面影』……2013年(ラオス・ビエンチャン近郊)

ビエンチャンの中心から車で1時間ほどのところ。
中国の援助で作られた巨大なサッカー場の前は
長いあいだ巨木の森であったらしい。

僕が最初に見た2011年にはまだ森の面影が残っていた。
巨木が数十本(もしかしたら数百本?)広い大地にそびえ立っていた。

何本か根元から見上げた。
大空に伸びた枝は何を意味するのだろう。

下草は刈られ、低木は根こそぎ抜かれた。
巨木以外はすでに伐採されてしまっていたのかもしれない?

      *

2013年、スケッチのために行った2度目。
すでに伐採が始まっていた。

あの巨木の数本が切られ、
大地に横たわっていた。

赤土の大地を牛が通る。
追う人もおらず、牛たちは思い思いゆったりと僕の前を通り過ぎた。

僕はそれをモチーフに油絵30号を描いた。

    *

ラオスを去る前に三たび訪れた。
僕が描いた巨木たちはすでに全部切られていた。

切り株の直径は細いものでも1mは超えている。
木っ端ですら重くて持ち上げられないほどの硬さだった。

↓※写真は2013年の2月14日にブログに掲載したそのまま。
20130214203150d53[1]
201302142031401ef[1]
201302142031591c5[1]
2013021420313003e[1]
20130214203210605[1]
201302142032216e2[1]
      *
20140419211809cde[1]
2012~2013年に描いた『むかし森だった頃の面影Ⅱ』油・F30号

      ☆

★今日の柿の木・・・・・・黄昏かいとしさか

柿の季語は秋(若葉と花は夏)。
黄昏の秋、いとしの秋。

18.10.27 おいらく祭り (15)
18.10.27 おいらく祭り (28)
18.10.27 おいらく祭り (51)

ラオスで味わった唯一の贅沢気分タゴーンの舟遊び・・・・・・2012年。稽古は贅沢な生演奏で・・・・・・

★先生方6人の生演奏

今日の民謡稽古、先週に続いて金曜会にお邪魔した。
僕が今月最後の稽古、8月27日の月曜会に欠席するので、
前倒しで今日の金曜会に替えてもらったもの。

      *

尺八が3人、三味線が3人の豪華演奏。
生演奏で唄う気分は最高だ。

僕は下手のままの(上達しない)生徒なので、
いつも申し訳ないと思いつつも大変ありがたい。

そのうち3人の方が遠く1時間半も電車、
あるいは車で来られている。

交通費にもならない会からの謝礼、
演奏の方はほとんどボランティア精神で
通ってきてくれている?・・・・・・と僕は思っている。

      *

それだからという分けではないが民謡はいい。
今日の僕は孫たち一家とのボーリングの誘いを断って
この民謡の稽古に来たのだ。

飽きっぽい僕がもう9年も続いている。

18.8.17 佐藤先生の尺八 (3)_LI
尺八ケースの中身を撮らせていただいた。
曲と唄い手の声の高さに合わせるので9~10本は必要と聞いている。
(尺八は)一本△十万円はするのだそうだ。
18.8.17 佐藤先生の尺八 (5)_LI
船をこぐ櫓の音(擬音)をだす楽器。
先生の手作りだ。

       ☆

★タゴーンの舟遊び・・・・・・ゴローのビエンチャン・記憶遺産(2012年)
12.10.26タゴーンの舟遊び (129)
ゆっくりな流れの中で声かけあい笑いも飛び交う。
屋形船の藁ぶき屋根を見ただけで癒されてしまいそう。
12.10.26タゴーンの舟遊び (134)
タゴーンはビエンチャン近郊。中央バスターミナルから小一時間でつく。
ビール付き食事で2時間遊んで一人あたり1000円強だった(2012年当時)。
12.10.26タゴーンの舟遊び (73)
50人以上が乗れる大型の屋形船もある。
そんな船では歌、ダンスなど宴会で大いに盛り上がっていた。
12.10.26タゴーンの舟遊び (9)
ラオス滞在中にタゴーンを訪れたのは5回。
そのうち舟遊びをしたのは3回だ。

晴れ着の娘と赤ちゃんを背負う娘・・・・・・2011年・ビエンチャン・記憶遺産。ゲン担ぎの5678

★暑い季節になってしまった

今日は婆も忙しく2人の孫を爺(僕のこと)一人で見ていた・・・・・・と言うより
一緒に遊んでいた。

朝から一日中見ているのなら、
何処かへ連れて行ってやればよかったかも。

      *

近くの2~300㍍くらいの山にハイキングにでも……
と思っているうちに暑い季節になってしまったのだが。

      ☆

★晴れ着の娘と赤ちゃんを背負う娘・・・・・・2011年・ビエンチャン・記憶遺産

※"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

ラオスには50前後の民族が住むと言われている。
人口が600~700万人の国でしかないのに。
少ない民族は500人とも・・・・・。

ビエンチャンでは地方からのお上りさんをよく見かけた。
明らかに山岳民族の衣装の人もいた。
そうした民族衣装の人は若くはなかったけれど。

20111203100904c80[1]
晴れ着でビエンチャン見物に来た。
山岳民族の娘さんと思われる。
(ビエンチャンの中心、凱旋門前の噴水にて・2011年)
20111118113940fd4[1]
店番をしながら赤ちゃんを背負っている娘。
(ラオスの北の大きな街シェンクワンの市場にて・2011年)。

      ☆

★ゲン担ぎの5678
CIMG4926.jpg
今日の携帯の歩数計が5678歩のストレート。
いいことあるかなァ・・・・・・と、ゲン担ぎしているのだけれど。

荼毘の炎・・・・・・2012年。平日の在宅が重要

★平日に在宅していることが重要

団地の水道メーターは5年にごとに交換するらしい。
今朝、その交換業者が来た。

管理組合の担当者が立ち会う。
同時にポンプ漏れの点検などもするらしく、
管理組合の副理事長の仕事として僕が立ち会った。

といってもポンプ室の鍵を開けたり閉めたりすることぐらいだが、
平日に在宅していることが重要らしい。

     ☆

★荼毘の炎……2012年ビエンチャン(ラオス)

『"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記』

      *

ビエンチャンの中心部にある大きなお寺。
通っていたオフイス前の大通りを挟んで向かいにあった。

このお寺でのお葬式は要人、身分の高い人、お金持ちなどに限られていると聞いた。
敷地内2ヵ所で同時に葬儀が行われることがある。

鳴り物入りの行列で寺の外周を回わり葬儀に入るのを見たこともある。
その外周は1㎞を超えるほど長い。

大きな葬儀で参列者が1000人以上というのもあった。
お坊さんの数で僕が数えた中で最も多かったのが100人(前後)。

      *

葬儀が終わると祭壇に火がつけられる。
その頃には参列者のほとんどがもういない。

数時間後、積み重ねられた薪が燃え尽きるまで、
火の番人が2、3人いるのみ。
消防自動車が待機していたことがあった。

      *

遺族が骨を拾いに来るのは翌日の朝。
その様子を写真に収めたこともある。

12.3.21大きな葬儀 (72)
炎の高さは10mを超えているのではなかろうか。
大きな葬儀になるほど祭壇が高くなる。
この葬儀の参列者はおよそ1000人、お坊さんは100(前後)人だ。
12.12.6お葬式 (30)
こちらは学校関係者なのか学生の参列者が多く見られた葬儀だった。
121.2.3 荼毘 (24)
遺族が骨を拾いに来るのは翌日の朝。
12.12.6お葬式 (48)
こちらの葬儀には80人ほどのお坊さん。
12.12.6お葬式 (64)
塀の内側が納骨所になっているお寺が多い。

本当に心が癒された・・・・・・親鶏とヒヨコたち。なんでこうなるの?

★なんでこうなるの?

今日は民謡の総会の資料作り。
イオンの中のイートイン(喫茶コーナー)で会計係と
議案書、決算報告書と次年度予算案の確認校正等々。

校正直しにいったん我が家に戻ったり、
コピーのために走り回ったり・・・・・・。

なんでこうなるの?
要するに会長とは使い走り含むなのだ。

      ☆

ff
親鶏にヒヨコ。ビエンチャン(ラオス)でならニュースにならない。

★本当に心が癒された・・・・・・ゴローのビエンチャン・記憶遺産

都心をカルガモの親子が行列で歩く姿がかわいいと話題になった。
可愛いこともあるが珍しいからマスコミで話題になる。

      *

ビエンチャン(ラオス)でならニュースにならない。
かわいいのは同じだけれど、どこででも見られるからだ。
但し僕がライスで行動した範囲内ではあるが・・・・・。

ヒヨコたちがピヨピヨと列をなして親鶏について行く光景には
本当に心が癒される。

日本でも日常的に間近に見ることが出来たら、
子供の虐待事件などきっと起こらない・・・・・などと思ったものだ。

◆"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

“ダン”を弾いてくれた山岳民族のおじさん・・・・・ビエンチャン(2011年)。春“からし菜”

CIMG9662.jpg
今日の食卓の春は“からし菜”。旨かった。

★100円でなら買ってしまった方が・・・・・

フキノトウの天ぷら、菜の花に続く食卓の春、
今日は“からし菜”。
農家直販売り場で100円で買ってきた。。

     *

荒川の土手で、菜の花、からし菜摘みは出来るが、
2年半ほど前に引っ越してきてから、
土手まで少し遠くなったので行くのが面倒になった。

それに土手は未だスーパー土手の工事中だ。
100円でなら買ってしまった方がいいのだ。

今日のからし菜も旨かった。

      ☆

hff.jpg
ラオス北部の山岳民族の村でお土産用“ダン”を売っていた。

★ラオス北部の山岳民族の村で・・・・・・2011年

おじさんが手にしているのは“ダン”という弦楽器だ(多分・間違ったらゴメンナサイ)。
ラオス北部の山岳民族の村でお土産として売っていた。

おじさんが手にしているのは本物(多分)。
本物といってもおじさんの手作りらしく粗末に見えた。

僕はその場でおじさんに弾いてもらった。
馴染みないメロディーだったし、あまり上手には思えなかったが
とにかくおじさんは音色を出してくれた。

お土産用にはやっぱりおじさんの手作りらしい
小さめな“ダン”売っていた。
僕は50000キープ(500円)で買った。

      *

ダンを弾いている人はあまり見ない。
タイのバンコクでこの楽器を路上で弾いている人(物乞い)に出会った。

彼が弾いていたのは1メートルくらいの丈のある大きな“ダン”だった。
音もしっかりと出ていたしメロディーもそれとはっきりわかる。

僕は持っていたicレコーダーに2、3分だけだが録音させてもらった。
たしかお礼に100バーツ(300円)払ったと思う。

      *

なお、買った“ダン”は帰国後、家で開いたらすでに壊れていた。

      ☆

★今日の散歩から
18.3.16 散歩 シイタケ (3)
散り際の梅。
18.3.16 散歩 シイタケ (15)
シイタケの栽培。
18.3.16 散歩 シイタケ (21)
美しくサンシュウ。手前の赤はボケ。

カオニアオ(モチ米のご飯)・・・・・・2011~2013年ビエンチャン。座席に忘れた柿10個。

★座席に忘れた柿10個

せっかく友達にもらった柿を電車の座席に忘れてきてしまった。
彼は遠くから重い目をして持ってきてくれたのだ。

僕が柿好きなことを知って、
自分家の庭の柿の木からもいでくれた10個ほど。

これからは外出の折にはザック(リュック)を背負って行くか
頭陀(ずだ)袋を持って行くことにしよう。

      *

友達へ・・・・・・ゴメンナサイ(-_-;)。

      ☆

ティップカオとカオニアオ
とくに美味しかった日のカオニアオ。
2011092913265456b[1]
タンブンに出るアパートの管理人のおばさん。
毎朝、お寺から回ってくるお坊さん一行(5~15人)にお供えする。

★カオニアオ・・・・・・ゴローのビエンチャン・記憶遺産 2011~2013年

カオニアオとはモチ米で炊いた(蒸かす)ご飯。
ティップカオという竹で編んだ容器にいれて食べる。

箸は使わない。
指でつまんで口に運ぶ。

      *

在老(ラオス)中、僕の朝食は毎日このティップカオに入ったカオニアオだった。
アパートの管理人のおばさんにおすそ分けしてもらう。

おばさんがタンブン(お坊さんにお供えする)用に炊いたものだ。
毎朝、炊いたばかりのカオニアオをタンブンする前に持ってきてくれた。

      *

カオニアオは美味しい。
おかずなどいらない。
僕はちょっと塩の濃い梅干しだけで食べ、朝食とした。

シーパン・ドンの稲刈り体験・・・・・・2012年11月3日

◆"ゴローのビエンチャン・記憶遺産"は2011~2014年にわたって
 ラオスのビエンチャンに滞在していた時の記憶。
 多くの人々にお世話になりながらの見聞・体験記。

★ラオス最南端の島で稲刈り体験

ラオスの有名観光地シーパン・ドン(4000の島)へ行った時の事である。
散歩中、稲刈りをしている農婦がいた。

僕は腰をかがめて鎌で稲を刈る姿をしばらく見ていた。
農婦は左手で稲の根元あたりを束ねるように掴み、
鎌を当ててサッと引く。

いとも軽そうに次々と刈る。
簡単そうなので自分もやってみたくなった。

農婦に頼みこんで鎌を借りやってみた。

      *

思ったほど簡単ではなかったが、
それでも10分ほどやらせてもらった。

気付かなかったのだが、
僕が稲刈りをさせてもらうのを見ていた婦人(おばさん)がいた。

僕が鎌を農婦に返すと、
それを待っていたかのようにおばさんは農婦に何やら掛け合っている。

そうか、おばさんも稲刈りをしてみたかったんだ。

※シーパン・ドンはメコン川の中州にできた島で4000の島の意味。

1 12.11.3 4000島3日目4814 (100)
僕は農婦が腰をかがめて鎌で稲を刈る姿をしばらく見ていた。
2 12.11.3 4000島3日目4814 (104)
声を掛けるとにっこり笑って承諾してくれた。
要領を教えてもらい僕は稲刈りを始めたが、
農婦は不安そうな顔をして見ていた。
3 12.11.3 4000島3日目4814 (107)
僕の稲刈りを見ていたおばさん。もしかして畑の持ち主?
4 12.11.3 4000島3日目4814 (95)
おばさんも農婦から要領を教わるとさっそく体験稲刈り?を始めた。
正直、僕はビックリした。

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