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さよなら Archive

働き盛りの52歳で逝く。メモしておきたい言葉

17.6.24 数寄屋橋、荒川個展、スバル座   (24)
働き盛り、52歳の若さだった。

★突然の不幸

姪っ子の連れ合い(夫)が逝った。
まだ52歳という若さ。
全国を飛び回る忙しさの中に襲った不幸だ。
突然のステージ4という診断で手術もできなかったらしい。
彼は穏やかで気の優しい人だった。
いつかゆっくりと話がしたっかたのだが・・・・。
ご冥福を祈らずにいられない。
合掌・・・・・・・・。

      ☆

★メモしておきたい言葉

本の中に、ブログの中に、テレビの中で・・・・・・・、
心の中にメモっておきたい言葉に出会う。

下のコピー3点は以前忘れないようにスキャンしておいたものだ。

スキャン・メモがこれ一回きりだというのが僕らしい。
ただ、これ一回きりで終わらないようにしたいとも思っている。

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      *

下の言葉はフェイスブックの友達が掲載したものだ。

『私は、地位のある人や、
私にない優れた資質や能力を持ち優れた働きをしている人々に
気後れする自分の性質に悩んでいた時期が、相当長くあります。
・・・・(中略)・・・・
地位、資産、才能、知識、名誉などが豊かな人と会うと、
その人がその富を誇っていなくても、
その人と自分を比べて自分を卑下したのは、
自分に自信が持てなかったからかもしれません。
劣等感を持つ仕組みは私には分からないのですが、
体験から、価値観のゆがみが関係していたと思います。
自分の価値を、本当に重要でない物差しで計って、
人と比べ、外に出さないまでも、心の内で、卑屈になったり・・・・(略)』

姉逝く。森下町の恩師

16.8.20 玲子お別れ会  (4)
名刹の和尚さんがお経をあげてくれた。

★ささやかなお別れ会

3番目の姉のお別れの会。
長年施設で療養していたが先日亡くなった。

80歳、未婚で子供はいない。
姉妹(兄弟)と甥・姪によるささやかなお別れ会となった。

お経をあげてくれたのは
名刹の和尚さん(浄土宗・正僧正)。

紫の袈裟衣がささやかだったお別れ会を
威厳に満ちた華やかなものに変えてくれたようだった。

      *

これで9人兄弟(姉妹)のうち3人が逝ったことになる。

合掌。

         ☆

16.8.20 玲子お別れ会  (9)
先生の家は地下鉄都営新宿線森下町駅から歩いて1~2分のところ。

★先生は歌もうまいけど・・・・

深川の森下町、高橋・・・・池上正太郎や山本一力の小説によく出てくる地名。
僕の実家近くでもある。

その森下町には僕の高校時代の恩師、
90歳の高齢にもかかわらず物凄く歌の上手な先生が住んでおられる。

今日、先生からご自宅に招かれ食事をご馳走になった。

もうひとり僕と同期の女性も一緒だったが、
まァ、平たく言えば3人はカラオケ仲間なのだ。

だから話はくだける、
ご馳走になった鰻は美味しくて、3時間もお邪魔してしまった。

       *

先生は歌もうまいけど、
実は俳句を指導しておられ、いまでも9つの教室をお持ちだとか。

先生は歌もうまいけど話も上手だ。
おもしろいし、話題豊富でとても90歳とは思えない。
モチ、抜群の知識と記憶力でたくさんのことを教えてもらえた。

先生は歌もうまく俳句も教えているけど、
身も軽い。

ビール、おつまみ・・・・何でもさっと立つ。
その身軽さ、動き(行動)はとても90歳とは思えない。

先生は歌もうまく、身軽にうごくけど、
とてもおしゃれである。

僕はこの頃、高齢で元気な人はおしゃれだということに気付いた。
これは山の会(おいらく山岳会)に入会して、
先輩の達の服装を見て確信にいたったものだ。

同乗で駅までたびたび・・・・・2軒先のご主人。ラオス植樹祭番外編エトセトラ。本「欅しぐれ」

★2軒先のご主人

30年来の近所付き合いのご主人が亡くなった。
昨年9月に引っ越す前に住んでいた家の2軒隣のOさんだ。

Oさんは年齢は僕より3歳上。
まだまだこれからなのに・・・・。

     *

Oさんの娘さんが勤め始めた20数年前のことだ。
朝、ご主人がその娘さんを近くの駅まで車で送っていた。
僕が朝の出勤時、その車に同乗させてもらったことたびたび。

季節には実家から送ってきたからと美味しい桃をいただくこともたびたび。
そんな訳でほぼ30年の間、
家族ぐるみに近いお付き合いをさせてもらっていたのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・合掌。

        ☆

16.7.8 ブログ用 (3)
面白くて一気読み。

★本「欅しぐれ」山本一力

著者は僕と同じ深川の育ち。
ということで深川が舞台の任侠人情時代物。

霊巖寺は僕の実家の墓がある寺だし、
平野町、木場、冬木町、佐賀町、永代(橋)・・・・みな馴染みの町名だ。

面白くて一気読み。

         ☆

★ラオス植樹祭番外編エトセトラ10
1 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (379)
①植樹をした山はバンビエンにある。風光明媚でラオスでは最も有名な観光地のひとつだ。
2 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (351)
②観光スポットの鍾乳洞から出る青の水。
僕を含む4人はここで泳いだというか水遊びをした。
流れが急で泳げない・・・・・にも関わらず勇気ある2人が泳いだ。
ちなみに僕は恐くて泳げなかった。
3 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (166)
③手をいっぱいに広げたくらいの大きさの蛾。
4bラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (408)
④けものの足。売り子よればイノシシのつま先。
これに指先で触れてしまったのが大失敗。
ものすごい臭いが指先から消えない。
何度洗っても臭くて半日ほど往生したのだ。
5 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (465)
⑤メイケンという昆虫でリュウカンという木にいるのだそうだ(ガイド言)。
油で炒めて食べる。盥の中で蠢(うご)めいていた。
6 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (109)
⑥ジャックフルーツ。
機織りをしているおばさんが、
足元のジャックフルーツを40000キープ(500円)で売るからというので買った。
こんな大きなジャックフルーツはめったに見ない。
いったい何人分が・・・・。
7 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (161)
⑦ホテルで剝いてくれ夕食のデザートに出してくれた。
この皿盛りが3つか4つ出た。
ひとりが3片として何人前?
甘酸っぱく食感のいい果物。
非常に美味しかった。
8 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (499)
⑧凱旋門の母娘(ご主人は横にいる)。
僕のことを忘れずいてくれて大歓迎を受けた。
娘さんは大学を卒業して働き始めたとか。
奥さんは交通事故にあって今は補助なしで立つことが出来ないらしい。
9 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (523)
⑨観光スポットのブッタパーク。
僕は4回目。
今回はガイドさんから詳しい説明を受けることができて多くの謎が解けた。
ドローンで撮影をしていたのは中国の人みたい。取材なのかなァ?
10 ラオス・16.7.2-6 バンビエン植林 (621)
⑩カエルのから揚げ(トットコップ)。
メコン川沿いのレストランでのランチ。
ほかにアヒルの喉、軟骨のから揚げ、バッタ、
ナマズ、もち米入りソーセージ、トムヤムプラーなどを
美味しいビール(ビアラオ)と一緒に食べた。

先代の和尚逝く

★先代の和尚逝く

墓参りと所用で浜松へ行った。
浜松には先祖の墓があり年に一度は行くようにしている。

新幹線で浜松駅へ。
東海道本線の次の駅が高塚駅。
高塚駅から歩いて25分ほどのところに寺がある。

      *

和尚によれば施設に入っていた先代の和尚(現和尚の父)がつい先日亡くなられたとか。

先代和尚がまだ現役でいた頃、
僕が墓参りがてら顔を出すと、
和尚は僕を本堂にあげてくれて昔の話を聞かせてくれた。

浜松で生まれ育った僕の祖父の話は何度聞いても面白かった。
またご自身の修行時代の話などもよくしてくれた。

とても興味深く聞くことができて、
和尚に会うのを楽しみにしていたことも行くたびかあった。

・・・・・・・・合掌。

      *

天気が良ければレンタカーでも借りてドライブでも思っていたのだが、
あいにくの雨となり用件を済ませて早々帰宅。
浜松滞在はわずか2時間足らずだった。

1 16.4.21 浜松・長福寺・カロライナジャスミン (9)
先祖の墓がある寺。
左が本堂、右が新築の書院。
書院には僕も一口寄進させていただいた。
2 16.4.21 浜松・長福寺・カロライナジャスミン (6)
線路沿いの道を歩くこと25分。
子供ころはこの道がとてつもなく長く思えたものだ(行き)。
3 16.4.21 浜松・長福寺・カロライナジャスミン (22)
高塚駅で普通列車を待つ(帰り)。
4 16.4.21 浜松・長福寺・カロライナジャスミン (27)
浜松駅で東京行きの新幹線を待つ(帰り)。

さよなら・・・・・・義兄91歳。電光石火の診察・診断。

16.3.30 工藤クリニック、本「屋根屋」、貝 (38)
長姉の結婚以来56年、義弟の僕にも多くのことを教えてくれた。

★さよなら・・・・・・義兄91歳

義兄(長姉の夫)が亡くなった(29日)。
91歳。

通夜、葬儀などは内々で行うと甥から連絡がきた。
3年ほど前に体調を崩してからは会う機会も少なくなっていた。

来月行う予定の兄弟(姉妹)会では
義兄を忍ぶことになるだろう。

合掌。

       ☆

16.3.30 工藤クリニック、本「屋根屋」、貝 (7)
電光石火の診察・診断にビックリの工藤クリニック。

★まったく心配なしのお墨付きをもらう

また1枚、病院の診察カードが増えた。
今日、新たに手にしたのは整形外科。

左足首の関節(グリグリ)が長時間(2時間以上とか)歩くと時々、
あるいは瞬時に痛むことがある。

すぐに治ったりもするのだが、
ハイキング中だと同行者に迷惑をかかったりするので、
診てもらうことにしたのだ。

        *

待合室で待つこと10分。
名前を呼ばれて診察室に入る。

そして、入ってから診察を受け、
レントゲンを撮り終えて、
診断を受け終わるまでの時間がわずか5分ほど(多分)。

レントゲンも医師が自分で撮影。
素早く3枚を撮影後、診察室に戻り瞬時の診断。

医師××「古い捻挫のあとだね。
捻挫をしてしばらくほっておいたとか、
何度も軽い捻挫を繰り返したとか・・・。

わずかだけどここがゆるんでいるんだね。
でもこれくらいなら心配ないよ。」
・・・・と、レントゲン写真を見ながら説明する。

医師は左足首と右足首を両手で握り確認。
そして素早くテーピング。

ゴロー××「じゃ、何時間歩いても大丈夫ですか?」
医師××「大丈夫、まったく心配ないよ」

退会したその年に・・・・・大先輩逝く。住民専用?の公園

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Tさんが“季風会”に出品された最後の作品。

★やさしくユーモアあふれる大先輩

季風会(僕の所属する絵の会)の大先輩の訃報が入った。
Tさんは設立43年になる会に古くから活躍していたひとりだ。
やさしく落ち着いた人でユーモアにもあふれていた。

それでいて仲間の作品にも甘い批評はしない。
だからたまにTさんから好意的な批評をされたりすると
僕は嬉しかったものだ。

一昨年体調を崩され、
作品が描けないということで昨年退会した。
退会したその年に逝かれてしまった。

合掌。

         ☆

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寝転がってもいいようなベンチが4つ(2×2)。

★住民専用?の公園

瑕疵修繕工事が終わって、
工事を請け負った建設会社の資材置き場にされていた公園が全貌を表した。

小さな公園だが、
団地の中からしか入ってこられない。

入口が写眞正面の木の間にしかない。
あとは4方ともに金網に囲まれている。

つまり団地の住民専用みたいな公園なのだ。

       *

ずっと以前は使われたであろう砂場(多分)も
今は砂もすっかり固くなっていて芝か草が生えている。

陽気がいい日などは寝転がってもいいようなベンチが4つ(2×2)。
春になったら空を見上げながら本でも読むか・・・・・。

不在だったらどうするの?

★ずっとずっと昔の忘れがたい思い出

9月、10月と2人の訃報を新聞で目にした。
1人はゴーマン美智子さん、
もうひとりは生頼範義さんだ。

2人にはつながりはない。
ゴーマンさんは元世界記録保持者のマラソン選手だしアメリカに在住のアメリカ国籍の人。
生頼さんは九州に居を構えていたイラストレーター(画家)だ。

       *

ずっとずっと昔のことだが、
2人にはそれぞれ忘れたい思い出があるのだ。

ゴーマンさんには1984年、ロサンゼルスで大変お世話になった。
いきなりご自宅に電話をかけ、
右も左もわからぬロス五輪のマラソンコースの取材を助けてもらったのだ。

たまたまゴーマンさんが在宅していて連絡がついたからいいものの、
「もし、不在だったらどうするの?」・・・・とお会いした時に叱られた。

ゴーマンさんは翌日、まる1日を取材に使ってくれた。
協力してくれたというより
同行したカメラマンが写真を撮った以外は、
仕事のほとんどをやってくれたのだ。

車の運転も、コースの案内も、通訳も・・・・・。

       *

生頼範義さんは彼が九州に居(アトリエも)を移す前から仕事上のお付き合いだった。
たしか小田急線沿線の喜多見にお住まいになっていた。

原稿の依頼に伺う度に1時間も2時間も話をした。
もしかして、迷惑だったかもしれないのだが、
依頼者(社)に帰れとは言えなかったのかも・・・。

そんな生頼さんがある日僕に相談を持ち掛けたのだ。
「九州へ居を構えたいのだが大丈夫だろうか?、
私は自分の絵(作品)を描きたい。そのためには広いアトリエが必要で、
宮崎県の農家を買って移り住みたいのだ。
しかし、生活もしなくてはならないので仕事が切れないか心配なのだ」

若輩の僕に真剣に相談を持ち掛けたわけでもないのだろうけど、
「先生ほど素晴らしい絵を描く人はそうはいません。
先生がどこに住まわれようがどこの出版社からでも仕事は行きます」

         *

数年後、僕は別な仕事をもって宮崎のお宅へ行った。
先生は(農家の)土間を使って
200号もの油の大作を描かれていた。

ベトナム戦争がまだ続いていたころで、
僕にもひと目で反戦画とわかる強烈な印象の作品だった。

       *

生頼範義さんの作品はどれも力強く素晴らしい。
とくに、まだ初期昭和43年頃、
当時の河出書房から出版された世界大音楽全集のケースの絵に僕は仰天した覚えがある。

ベートーベンやバッハ、モーツアルト・・・・など30人(前後)の顔(肖像画)を描いているのだが、
すべて異なるテクニックで描かれているのだ。

一見するとどれも同じように見える超リアルな肖像画なのだが、
近づいて見ると明らかに異なるテクニック(筆のタッチばかりではない)で描いている。

たしか当時、河出書房では原画展も開いたように思うが記憶は定かでない。

手ぬぐい、パスポート、深高の月謝帖などガラクタ (8)
生頼範義さんのイラスト。作品のあて紙としてくれたもの。
点画、石膏ボードなど、白黒作品も多い。

       ☆

★今日の散歩から
15.11.5 散歩ブログ用 (7)
1周500メートルのジョギングコースのある公園を発見!
鴨川を挟んで隣の上尾市にある番場公園。

神様が合わせてくれたのかもしれない

1 15.3.12-13中島家通夜・春の色 (5)

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昨日の両毛新聞に生前のご活躍が紹介されていた。

★神様が合わせてくれたのかもしれない

(現役時代)仕事とプライベートの両方でお世話になっていたSさんご夫婦のご母堂が亡くなられた。
亡くなられたのは奥さんのご母堂。

享年92歳、
昨日の両毛新聞に生前のご活躍が紹介されていた。

       *

僕が故人と始めてお会いしたのはもう43年も前のこと。
新婚ほやほやのS氏と渡良瀬川に投網で鮎獲りに行った時だった。

投網を奥さんの実家から借りるので寄ったのだが、
その時、家にいたのが母親と2人の高校生。

高校生A××「いらっしゃいませ。いつも姉がお世話になっております」。
高校生B××「いらっしゃいませ。いつも姉がお世話になっております」。

2人の高校生が玄関のあがりばちで
両手をついて挨拶をするのだ。

東京の下町深川の職人の家で
少々乱暴に育てられて大きくなった僕はそれを見て驚いた。
それこそびっくり仰天だ。

"礼儀""しつけ""育ち(の違い?)"、"家柄?"・・・・・そのような言葉が頭をよぎった。
その後、2人の高校生が歯科医師となったのは言うまでもない(新聞の記事に掲載)。

      *

故人とは昨年の9月、四十数年ぶりにお会いしている。
神様が合わせてくれたのかもしれない。

合掌

大事な釣り友逝く。9分と数秒の証言の中身は重い・・・NHKアーカイブ"戦争証言"

15.1.26 則和さん逝く (16)
大事な釣り友が逝くった。写真は渓流沿いの道に咲いていた蕗の花。

★突然の訃報

Nさんが逝った。
突然の訃報、享年64歳。
心筋梗塞で倒れそのまま雪の上で亡くなっていたそうである。

Nさんとは毎年釣りシーズンになるとお世話になっていた家の主人。
僕は2010年からだが(僕の釣りの)師匠は20年以上だ。

年齢がほぼ同世代ということもあって、
釣りの話から若いころの武勇談に至るまで
夕食時の会話はいつも弾んだ。

大事な釣り友でもあったのだ。

沢のこと、エサの選択、クマのこと・・・・・、
Nさんにはずいぶんと教わった。

心からご冥福を祈ります・・・・合掌。

       ☆

15.1.26 則和さん逝く (24)
こうした番組がネット配信でいつでも見られるのはいいことだ。

★9分と数秒の証言の中身は重い

NHKアーカイブ"戦争証言"を見た。
見たといっても小林桂樹、瀬戸内寂聴、宝田明の3人だけだけど・・・・。

ひとり9分と数秒の証言の中身は重い。
こうした番組がネット配信でいつでも見られるのはいいことだ。

       ☆

15.1.26 則和さん逝く (35)
近衛十四郎、大友柳太郎が懐かしい。

★映画DVD 「十兵衛暗殺剣」 倉田準二監督  1964年

1964年といえば東京オリンピックが開催された年。
もう50年も前の映画だ。

近衛十四郎、大友柳太郎が懐かしい。



親戚の葬儀(合掌)。旧陸軍桶川飛行学校写真(中編)

1 13.12.22-23秦野山口(光子)家葬儀8 (55)
ご主人に先立たれてから5年で逝ってしまったのだ。

★平均寿命までまだ10年近くもあった

親戚(娘の義母)に不幸があり昨日の通夜と今日の葬儀に行ってきた。

享年77歳であり女性の平均寿命までまだ10年近くもあった。
ご主人に先立たれてから5年で逝ってしまったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・合掌。

       ☆

★旧陸軍桶川飛行学校写真(中編)
旧陸軍桶川飛行学校の詳細についてはネットで ↓
http://okgwkataritsugu.koborezakura.com/

2 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (57)
3 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (58)
4 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (59)
5 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (60)
6 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (25)
7 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (22)
8 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (27)
現在もホンダの飛行場の給油施設の一部として利用されている(多分)。
9 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (28)
10 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (30)
11 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (51)
12 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (53)
13 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (54)
14 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (55)
15 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (56)
16 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (18)
17 09.9.5旧陸軍桶川飛行学校 (7)

円安は海外に住む日本人には・・・。ガリ版先生逝く

★円安は海外に住む日本人にはコタエル

明日、早朝のオンライナー(バス)で成田へ向かう。
今回もベトナム航空を使う。
途中、ハノイ空港で乗り換えがあり、
ビエンチャンのワッタイ空港到着は現地時間の午後6時(時差は2時間)予定。

   *

アパートの部屋をきれいに片付けてきてしまったので、
夜の7時過ぎに帰ってもすぐに寝ることは出来ない。

で、もしかしたら1泊は近くのホテルに泊まるかもしれない。
安ホテルは1泊100000キープ(約1100円)ほどだ。
このところの円安で10パーセントほど高くなっているのではなかろうか?

   *

円安は海外に住む日本人にはコタエルはずだ。
とくに僕みたいな貧乏生活者には影響が大きい。

1ヶ月50000円の生活費(生徒の教材費含む)が
10パーセント違えば45000円になってしまうのだ。

ラオスの生活で5000円は大きい。
僕の食費は1日400円。
およそ12日分に相当する。

ビエンチャンに住む年金生活をしている仲間たちとの話題は
もう決まってしまったようなものだ。

    ☆

★明日はブログ休みます。

    ☆

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いつまでも教え子たちに慕われ続けた先生であったことは間違いない

★ガリ版先生逝く

前澤和明先生が亡くなられたのは昨年の1月のことだ。
僕は昨年暮れに来た喪中のはがきを受け取って知った。

前澤先生は中央区の月島第3小学校を皮切りに
定年を迎えるまで小学校の先生一筋だった。

八丈島の勤務時代もあったらしく、
島での懐かしい思い出話を聞いたこともある。

    *

僕が先生に始めてお会いしてから20年以上がたつ。
まだ現役であり当時は杉並区の小学校に勤務していた。

教育者として熱心そのもの。

僕が驚き感動したのは、
受け持ったクラスの学級新聞を
毎日発行していたことだ。
(僕は毎日だったと記憶している)
しかも全て手書きのガリ版刷りなのだ。

その学級新聞を全号自宅に保管。
教え子が先生を訪ねてくれば
いつでも見ることが出来るようしていた。

70歳を過ぎてからでも、
年賀状のやり取りは毎年700枚を超えるのだと言っていた。
いつまでも教え子たちに慕われ続けた先生であったことは間違いない。

いっぽうで、先生は型破り先生でも名をはせていた?
児童にマラソンを走らせて
校長とモメていたような話をしていたこともある。

生徒にマラソンを走らせるのは危険
というのが当時の校長先生の見解であったらしい。

マラソンブームが訪れる前の時代である。

また、フルマラソン(42.195キロ)もいまでこそ何回も走る人がいるが、
“フル100楽走会”を立ち上げたのも前澤先生だった。

“フル100楽走会”とは文字通りフルマラソンを100回走ろうという会だ。
モチ、先生もフルを100回以上完走している。

その他にも当時から“日本小鳥の会”をはじめ、
いくつもの会を立ち上げ会長となっていた。

いずれもボランティアに近いものであったが、
ただ、ミニチュアダックスフンド(犬)だけは、
多少の売り上げになっていたと先生の口から聞いた。
     *

僕に会うとき(も)先生はいつでもペンを手にしていた。

飛行機やら列車で一緒になってお互い話に興じているときでさえ、、
先生は何かしら書いて(考えて)いたのだ。

前澤先生のエピソードを集めたら、
面白い本になったかも。

・・・・・・・合掌。



同じ土曜会、席も僕の隣の大先輩。筑波大学

画像 267
同じ土曜会、それも隣の席で練習をした大先輩(仲間)

★一緒に練習をした思い出が蘇る

一昨日の民謡おさらい会の写真と録音を整理してる最中、
訃報が入った。

一緒に民謡を習っている筑静会(民謡クラブの名)会員のSさんで、
クラブでは大先輩だ。
それも同じ土曜会(土曜日が練習日のグループ)のメンバーだった。
席も僕の隣。

小学校の先生をやっていらっしゃたと本人から聞いたことがある。
とても上品な方で、
共に練習をした思い出が蘇る。

新庄節、新相馬節、日光山唄、あがっしゃれ・・・・などなど。

79歳。

ご冥福をお祈りいたします。



★あの日の記憶・メモ   筑波大学  2009年
09.9.13筑波大農林中央センター (25)
「大きな乳牛ですね」と言ったら研究員に「普通です」と言われてしまった。
09.9.13筑波大農林中央センター (15)
筑波山が望める

会社勤めをしていた後半の20年の間に、
筑波大学を6,7回は訪れている。
スポーツや健康に関することの取材で行った。
シューズに関すること、
ストレッチに関すること、
球技に関すること、
栄養に関すること・・・・・etc
それぞれ専門分野が異なるので、
話を聞く教授(准教授)の研究室の建物も違う。
行くたびに広いなァと思った。
最後は牛乳に関する取材だった。
研究室のある場所はほとんど農園?
筑波大農林中央センターと言うところだった。

乳幼児突然死症候群で1歳5ヶ月の子が亡くなった

11.5.2ブログ用 (17)
4軒隣のお宅に咲く藤の花。3,4日前まではもっと色鮮やかであったが・・

★訃報

乳幼児突然死症候群で、
親戚の子供が亡くなった。

まだ1歳5ヶ月だった。
僕も、ママに抱かれている
かわいい赤ちゃんを見ている。

病気といえるか?
まだ、原因もはっきりしない。

ご冥福をお祈りいたします。

 合掌

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今年は一点のみの出品だ。昨年同様、入選を願うのみだ

★県展への出品依頼と搬入を代行業者に頼みに行く

昨年、初出品の県展、
今年も出品することにした。

15日が一般の搬入なのだが、
その日は旅行に出かけているはず(予定)なので、
今日、代行業者に頼みに行った。

大半が50号の作品の中で、
それより小さな作品はどうしても見劣りがする。
その中で、昨年は20号で入選を果たした。

今年はP40号で、
昨年よりは大きい作品だが・・・。
入選通知が来ることを祈る。

11.5.2ブログ用 (10)
広大な田んぼに水が引かれた。ほんとうは朝でなく満月の月明かりで見るのが最も美しいのだ

★西遊馬の河川敷の田んぼの田植え始まる

満月の月明かりで見たことがある。
月が田の水面に写っていたかどうかは覚えていないが、

田んぼは美しく輝く。
ほんとうに、鏡のようにどの水面も輝くのだ。

ここの米は昔から美味しくて有名らしい。
遠方から直接農家へ注文が来たり、
わざわざ買いに来る人がいるとも聞いている。

もしかして、お月様のせいかなァ。


11.5.2ブログ用 (3)


★悲しくなるほど少ないお金にしかならなかったらしい

同居中の息子が、
数年前に買ったテレビつきパソコンを売るという。

息子××「どうせ、安くしか売れないだろうから、
欲しい人がいたら上げてもいいんだけど・・」

「知人に聞こうかと思ったんだけど、
不在だった。不要なら仕方ないんじゃない」

息子××「電気屋に持っていったら、
もしかしたら廃棄費用取られちゃうかもしれないし・・」

そうは言ったが、
ハードオフから帰った息子は
がっかりして帰ってきた。

プリンターも一緒で、
5000円にも満たなかった。

数年前とはいえ、
ひと揃い、ざっと30万円をかけて買ったらしいのだ。

息子の無念の気持ち、わかるなァ。


シリーズ・モノクロ時代 1  神戸異人館
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モノクロ時代。
それはすでに30年以上前に終わっていたかもしれない。
アルバムを見ても、
就職後しばらくして
カラー写真に変わっている。
今は、デジカメになって、
むしろモノクロで撮影すること自体難しいのでは?
撮影後、モノクロに操作して変換すればいい?
ちょっとそれとは意味合いが違うなァ。
モノクロ時代、
それは懐かしい時代の回顧なのだ。
さて、神戸異人館だ。
この写真はいつ頃のものだろうか。
上から3番目のミス異人館さんに
聞いてみれば分かるのだろうけど、
昔の写真とはいえ、無断で載せているので
知らないままにしておこう。
異人館のいまはどのように
変わってきているのか?
途中で阪神大震災もあったしなァ。
またいつか神戸に行く機会があったら、
寄ってみたい。
どこかでコーヒーでも飲みながら、
再度、じっくり異人館を味わってみたい。
というわけで、
今回からシリーズで“モノクロ時代”を
時々ですが掲載します。
なにしろ、モノクロ写真は数がありませんので・・・。

ハンサム犬“ロデム”逝く

10.12.7ブログ用ロデム逝く (10)

愛犬“ロデム”逝く

ロデムは15年ほど前に、
ご近所さんの子供が拾ってきた犬だ。

それを我が家が引き取った。
生まれて半年ばかりの子犬だった。

名前は当時中学生だった次男がつけた。
あるアニメ漫画のキャラクターの名なのだそうだ。

以来15年、
番犬としてとてもよく働いてくれた。
僕が不在中だった4年半は、
僕の代わりに留守を守った。

ロデムはハンサムだった。
ある日、土手の上を散歩している時だ。

グランドの応援にでもきたのだろう、
女子高生たちが集まっていた。

「この犬、キムタクに似ているだろう?」

△△「ほんとだァ!」

キャアキャア言いながら
女子高生たちは
ロデムを取り囲み、
褒めてくれた。
本当に鼻筋の通ったハンサム犬だったのだ。

また、よく走った。
僕が60歳近くなるまで、
ジョギングが続けられたのも
ロデムが一緒に走ってくれたお陰だ。

ふだんでも5~10キロ、
長いときは30キロ近く走ったこともある。

猛暑の夏が過ぎたころから
突然、弱りだした。

歩くのも大儀となり、
この一週間はとうとう散歩も止めにした。
わずか10メートルの散歩ではあったが・・。

夜中の12時半頃から、
吼えるというより、
鳴き始めた。

物悲しい、訴えるような鳴き声だ。

その声を聞いてか、
まるで返事をするかのように、
どこからか犬が吼える声が聞こえる。

犬同士分かるのだろうか、
犬の鳴きあう声は20分も続いた。

真夜中、
苦しそうにも聞こえる
ロデムの叫びは午前3時半まで続いた。

そして、今朝の7時40分、
妻と僕と息子の3人に看取られながら
静かに息を引き取った。



ペット霊園(葬儀屋)が迎えに

近くのペット葬儀屋さんに
引き取りに来てもらったのは
午前10時半だ。

電話で、指示を受けた通り、
敷物に寝かせ、
好きだった食べ物を供えて待った。

××「この頃では、
こうした中型犬が頼まれるのは、
月に2、3件しかないんですよ」

さらに、こんなことも話してくれた。

××「私のところは、焼くお釜も持っていますから、
すべて、直接お引き受けいたしますが、、
昨年、事件を起こしたような
仲介業者さんに頼んだ場合でも、
結局、私のところに回って来るんですよ。
焼くお釜を持っているのは
市内では私のところだけ(私設)ですから」

そういうことだったのだ。
事件を起こしたような仲介業者は、
自分ところの倍以上の料金を
請求するのだそうである。

このペット葬儀屋さんでは
体重が10キロ以内の
中型犬までしか引き受けられない。

このごろは
飼い主が役所にお願いして、
生ごみとして引き取ってもらう
ケースが多いのだとも語っていた。

商売とはいえ、
きちんと口、顔を洗い清め、
綺麗に包んで、
車に備え付けの
棺おけに収める。

花輪まで添えてくれた。

××「昨日はハツカネズミを頼まれました。
ハツカネズミでもちゃんと
焼いてからお骨は拾いますよ」

金魚を依頼されたこともあるそうだ。

××「最近は、家の中で飼う小型犬が多いですが。
それもかっての半分以下ですね。
以前は年に1000件も頼まれ大忙しだったのですが・・」



10.12.7ブログ用ロデム逝く (17)

干し柿をつまみ食いしたのは誰だ!

お隣さんからもらった
干し柿。

せっかく紐までつけてくれて
干すだけの状態で貰ったのに・・・。

ッタク!
誰がつまみ食いしたのか。

鳥か、
それにしてはつついた食べ方ではない。

蟻か、
それにしてはきちんと形を作って食べている。

ナメクジか?
ナメクジが干してある柿まで
這え登って食べるか?

いったい、犯人は何物か?

いずれにせよ、
もう食べられないなァー。

土手の彼岸花群生。さよなら。ドナーカード

10.9.26土手の彼岸花 (17)

①土手の彼岸花群生

近くの土手に咲く彼岸花が
今年はどういうわけか
一挙に大群生と化している。

もともと、
このあたりは
毎年、咲いてはいるのだが、
今年のように多くはない。

一挙にこれほど
群生化するものなのだろうか?

鮮やかな深紅の帯に染まった土手には
朝から、アマチュア・カメラマンらしき人が数人、
カメラを構えている。

今朝は天気も良く、
西方には
冨士山も望めた。

ところでだ。
土手から少し離れた
河川内のグランド付近にも、
結構な面積を占めて
毎年、彼岸花が咲いていたのに、
今年は、一本も見られない。

????なのだ。



②さよなら

また、
生前、お世話になった
知人にさよならを
言わねばならなくなった。

享年62歳だという。

多方面で活躍されていた方なので、
たくさんの方々が通夜に参列していた。

故人には、
僕がサラリーマン現役時代、
仕事の上で何度かお世話になった。

喪主である奥様とも、
職場が一緒だったこともあり、
気安く接していただいた。

いちど、グループではあったが、
ご夫婦ともに交えて、
香港旅行に行ったことがある。

語学堪能でグルメ、
話題豊富な故人のおかげで、
旅行そのものがとても楽しく、
印象深いものになった。

故人、喪主(奥様)、
お二人の人柄がしのばれるような、
敬虔な中にも
穏やかさとやさしさのただよう
通夜であった。

そんな気持ちの中で、
ご焼香をさせていただいた。

ご冥福をお祈りいたします。



10.9.26ブログ用、虹とドナーカード (17)

③ドナーカード

通夜の流れで、
気のおけない二人の友人と
お茶をした。

久しぶりということもあって、
2時間あまりもお喋り。

一人はパソコンに詳しい。

僕がブログを開設する際にも、
いろいろと教えてもらった。

電子ブック、携帯サービス、
Ipadの機能・・・・、
チンプンカンンプンで
聞いていたところのほうが
多かったが、
今日もたくさんのことを教えてもらった。

××「これってわかります?」

彼はいきなりカードを見せる。

「何です?」

××「ドナーカードですよ。
2年前に登録したんです」

○○「全部あげちゃうの?」
××「いえ、目だけは止めたんです」

そこから、しばし生体移植の話題へ。

不思議なもので、
知人がドナーとなることを
許諾したと聞いた瞬間から、
これまで他人事であった話が、
急に身近になった。

決断には相当に勇気がいっただろう。

自分は、はたしていつか、
ドナーに
なるだろうか?
なれるだろうか?

ならざるを得ない状況が
おこることもあるのだろうか?

さまざまなことが思い浮かんだ。



“カトマンズ・バンコク慕情”逝く

10.7.19ポーチ

“カトマンズ・バンコク慕情”という
ブログの主hikaruno氏が亡くなられた。

僕はほぼ毎日開くブログがいくつかある。
その中の3つはタイ発信のものだ。
もちろん、自分がタイに2年余り滞在したことによるものだが、
その中のひとつが“カトマンズ・バンコク慕情”であった。

5月9日以来
彼のブログは途絶えていた。

hikaruno氏とは一度、
お会いしたことがある。
昨年11月のことだ。
場所は神田小川町。
彼が蒐集した布の展示即売会
「インド・ブータン・東南アジアのシルク布」
の会場でだった。

僕は会場でhikaruno氏から20分ばかり、
ネパール、バンコク、そして蒐集した布の話などを聞いた。
もっといろいろと聞きたい話はあったのだが、
氏がとても疲れた様子だったので早々に切り上げた。

記念にとポーチを買わせてもらったのだが、
その時以来と言っていいだろう、
氏のブログの内容が闘病か
もしくはそれに関わる内容に変わっていく。

彼の死を知ったのも
タイ発信の別のブログによるものだ。

そして“カトマンズ・バンコク慕情”には
hikaruno氏の友人による
最後のメッセージが載った(下記)。


読者、投稿者の皆様へ

 ブログの更新がなされなくなった後も、コメントをいただきましたこと、感謝いたします。
 hikarunoは、薬石効なく、他界いたしました。
 ブログの皆様に、このお知らせをするようにと申し付かっておりましたが、現実となり大変残念です。
 特に闘病中には、皆様からのご連絡、お励ましが大きな支えになっていたようです。
 長い間、関心を寄せていただきまして、ありがとうございました。
                                                           友人

このメーセージに対して31ものコメントが返されている。
ご冥福を祈りたい。
合掌


今日のオブジェ06.6.10伊豆ヶ岳 025


むしの知らせ

10.1.6.タイ (34)
今朝のことである。K氏から電話が入った。
「ゴロちゃん月曜日空いてる?」
「空いているけど、何で?」
「クラシック聞きに行かない?」
「どこであるの?」
「文化会館で」
「上野ね。で、いくらなのよ」
「6500円。でもチケットはあるの。行けなくなった人がいて、その人が誰か行ける人がいたら行ってもらってくれって頼まれたわけ」
「じゃ、行く」
「チケットを送ろうか」
「いいや、どうせ月曜日は出かける用事があるから、□□駅まで貰いに寄るよ」
 ついでに□□駅近くに住む古い友人のY氏宅に寄ってみようと思いついたのだ。
そこで、月曜日の予定を聞くためにY氏に電話を入れた。
「久しぶり、元気?」
「元気だけど、ちょっとね・・・」
「どうしたの?」
「実は妻が死んだんだ。9日のことだけど。それで実は今日が葬式なんだ」
「エッ!」
「知らせなくて悪かったんだけど、生前、病気のこと誰にも知らせるなと言われていたんでね」
「とにかく、葬儀には行くから場所を教えて」
 Y氏夫妻とは知り合ったのはおよそ25年前になる。
当時、夫妻は編集プロダクションを経営しており、仕事の関係で知り合った。
その後、僕の担当が変わり仕事が切れてもお付き合いは続いてきた。
奥さんは家事、育児と仕事を両立させながらも、
いつも笑顔を絶さず明るく、気さくな人だった。
Y氏に電話を入れたのも、奥さんにも会いたかったからなのだが、
“むしの知らせ”だったのだろうか。
合掌

拓本の師逝く 川越やすらぎのさと(葬儀場)

拓本の師逝く 川越やすらぎのさと(葬儀場)

拓本の師逝く

突然の訃報であった。
4月に咳き込むのでと医者に診てもらったら、末期の肺ガンであると診断されたとか。
1ヶ月ほどの入院であっけなく逝ってしまわれた。
僕が札幌に転勤していたときにネットで調べ、川越拓本クラブのことを知った。
その後、仙台での転勤を終えて五反田勤務になってすぐに入会を申し込んだのだ。
はや10年になる。
昨年、会は師の意向で解散したのだが、
僕のバンコク勤務の2年余りを除く6年半、
指導を受けるとともに供に会の活動を行ったことになる。
新潟、水上、川場、千曲川、秩父など遠くへの採拓も厭わず出かけた。
泊りがけで行ったこともたびたびだ。
心残りは師を富士山の見える観光地へ連れて行くことが果たせなかったこと。
富士山の写真が撮りたいと行っておられたので、いつか行きましょうと約束をしていたのだ。
今、僕は郷土史研究会へ拓本での協力を申し入れている。
師から教わったことを無駄にしないように、また次の誰かに伝えるのが使命でもあろう。
 合掌

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