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2011年03月 Archive

プリキュア衣装にハマっている2人の孫娘。今日のオブジェ“長い影”

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-31 Thu 21:17:33
  • 映画
11.3.31花那と結夢 (8)
プリキュァ衣装?というのだそうだ。そー言えば、街中にでも見かけたことがあるなァ

★プリキュア衣装にハマっている2人の孫娘

二人お孫娘がるプリキュァ衣装にハマっている。
といっても、それぞれ1着ずつだが・・。

二人揃うと、
早速、着替えてこの衣装で家の中で遊ぶ。

さすが、外には着て出ないが、
僕のアトリエ兼寝室に入り込み、
ベットの上で踊りだす。

小学生のほうの孫娘の冬休みが終わるまで、
あと一週間だァ。

11.3.30ブログ用 (18)
静かに画面が移り変わる中で、最後に謎が解ける。これは心理映画か推理映画か?

★映画「ひと月の夏」DVD  1987年 イギリス

地味で静かな映画だ。
派手なアクションもない。

美しい映像やカメラの流れも、
ゆっくりと流れる。

それでいて、見ていて飽きない。

じっと、事の推移、成り行きを見守る。

最後に、壁画に描かれた謎が解けて、
推理映画(?)と分かった。

いい映画だァ。


11.3.31ブログ用映画3本 (19)
“映画の教科書”と淀川長治氏が解説していた。僕がこの映画を見るのは二度目だ

★映画「第三の男」DVD  1949年  イギリス

冒頭の解説の中で、
映画評論家の淀川長治氏が

映画の教科書。
あまりにりっぱで憎らしいほど。
ワンカットも無駄がない。
・・・・・・。

と述べている。

ウイーンの遊園地のシーン、
木のゴンドラは、
今でもあるだろうか?

以前、僕も乗った経験があるのだが・・。


11.3.31ブログ用映画3本 (28)
今の時代にそぐわない?今の時代だから見せたい?どっちだか分からない映画だ

★映画「どぶ川学級」DVYD   1972年  

今の時代にそぐわない?
今の時代だから見せたい(子供たちに)?

どっちだろう。

なにしろ、40年も前の映画だからなァ。


今日のオブジェ   長い影
11.3.31影 (9)
ジョギング中の影が長い。
足長おじさんみたいだ。
自分の影を写真撮ることはあまりしないだろうが、
つい、撮りたくなった。

中学校の吹奏楽部演奏“スプリングコンサート”。

11.3.30ブログ用 (41)
五十数人のオーケストラはなかなかの迫力。練習の成果が見て取れた

★地元中学校の吹奏楽部演奏“スプリングコンサート”

僕の子供ら3人が卒業した中学校は
家から歩いても1、2分。
直線距離にしたら100メートルもない近さだ。

今回の地震で、
予定会場が使用できなくなり、
さらに、日程をずらして体育館での演奏会となったらしい。

「このコンサートは僕が会場に入って
聞いてもいいんですか?」

校門前で呼びかけをしている
数人の女性(先生か保護者か?)に聞いた。

「どうぞ、お入りください」

という返事に、
早速会場の体育館に向かった。

部員は1年から3年までで五十数人はいる。
3年生を送り出すためのコンサートでもあるらしい。

第3部まであって、
合計19曲、
3時間ほどの演奏だった。

メドレーも2曲含まれ、合唱も2曲ある。
さらに、アンコール曲も別にあった。

引きながらの振り付けの演出、
ダンスも取り入れられて、
なかなか楽しませてくれる。

指導する先生も大変だろう。
よほど熱心なのだろうと思った。

また、生徒たちも、
相当の練習に耐えてきたのだろう。

頑張りの結果が演奏によく出ていた。
1年間の活動記録をみても、
県や地区大会で優秀な成績結果が伺える。

感動は充分に伝わったぞ。

11.3.30ブログ用 (6)
23年前の映画。現在テレビ・映画で大活躍中の出演者たちも多く出演している。みんなまだ若々しいなァ

★映画「ダウンタウンヒーローズ」 1988年   山田洋次監督

山田洋次監督の自伝的映画?なのかと思ったら違っていた。

原作者が別にいて、
山田洋次監督が脚本も手がけたという作品。

さわやかな学生たちと清純な乙女。

ひょっとして、山田監督がこのような学生生活(恋)を送りたかった?
じゃなくて、山田監督ご自身が経験したと同じ学生生活(恋)だった?

そのどっちかじゃないかと思ったのが映画(DVD)を見た感想。


あの日の記憶・メモ  自爆事故 1996年  
IMG.jpg
北海道の美幌峠から
抜け道の農道を通って網走に戻る途中だ。
道路の上のほうから下りてきた。
坂の頂上まで70キロのスピードで走って来ていたが、
坂を越えた途端、舗装が切れて砂利道になった。
運の悪いことに、この車は前ブレーキだった。
それなのに、あわててブレーキを踏んだからいけない。
ハンドルのコントロールができない!
車はすごい勢いで回転、
路肩のコンクリートを乗り上げて大破、
そのまま動かなくなってしまった。
エンジンがかからない。
結局その日、車はそのままにして、
行きずりの小型トラックに乗せてもらい、
出発点の網走市内のレンタカー屋へ戻った。
翌日、クレーンを積んだ車と事故現場へ。
車を引っ張ってまた網走へ戻った。
保険に入ってはいたが、
5万円までは自己負担だ。
それにクレーン車が4万円。
さらに、泊まったホテル代1万円と、
合計10万円のとんだ出費となってしまった。

クレアモール川越新富町商店街の賑わいの理由。本「おじさんバックパッカーのアジア一人旅」

★クレアモール川越新富町商店街の賑わいの理由

所用で川越に行った。
待ち合わせ場所に行くのに、
商店街を通り抜ける。

クレアモール川越新富町商店街。
いつ通っても賑わいだ元気な商店街だ。

時間もあったので、
久しぶりにゆっくりと歩いた。

通る人を見ると若い人が圧倒的に多い。

西武線の本川越駅とJR・東武線の川越駅を結ぶ通りだから。
道幅が丁度いいから。
車が通らないから。
いろいろと理由はあるだろうが、
歩いていて楽しい。

お店がバラエティに富んでいる。
そこそこ広い店が多い。
新旧入り乱れて飽きない。
数百メートルの距離が丁度いい。
商店街の看板、垂れ幕などが明るい。

もしかしたら値段も安いのかもしれない。

何より商店街の人たちの努力のたまものなのではないか。
歩いていてそう思った。

11.3.29川越商店街ブログ用 (7)
クレアモール川越新富町商店街の賑わいは,何より商店街の人たちの努力のたまもの?
11.3.29川越商店街ブログ用 (21)11.3.29川越商店街ブログ用 (23)
古い店構えは桶屋。対面は派手なブラジャーを並べている店だった

11.3.29川越商店街ブログ用 (11)
商店街の中ほどにお寺。関東大震災の慰霊碑があった


バックパッカー本
★本「おじさんバックパッカーのアジア一人旅」

見て移動して、食べて、寝て・・・。
バックパッカーはこの繰り返し。

どこに一番時間を割くか、
バックパッカーそれぞれによって異なる。

アジアでの移動の際には、
とても役立ちそうな内容だった。


あの日の記憶・メモ   かんざらし 1990年頃
かんざらし2かんざらし1
「おばさんはお幾つになるの?」
××「84歳よ」
「ウヒェー!すごい」
と、声には出さなかったが、心では思った。
コップに入った黒砂糖水のような飲み物、
底に白玉が5、6個沈んでいる。
それを飲み(食べ)ながら、
カウンターの中にいるおばさんに思わず聞いたのだ。
なぜ、聞いたのかって?
当時のことだが、コップのかんざらし、
いとも簡単にできてしまう。
家の前の湧水から水を引き、
黒砂糖水にして白玉を入れるだけだ。
これなら、84歳でもそれほど苦労しないで
出来るだろうと思えたのだ。
少なくても、その手際のよさは簡単にを思わせた。
値段は一杯、当時のことだが200円だか300円した。
僕がすごいと思ったのは、
この84歳のおばさんの稼ぎだ。
少なくとも店の中ではおばさん一人が客をさばいていた。
もしかしたら、名物おばさん、看板娘(おばさん)だったのかも。
なにしろ、店の外には数十人の客が並んで待っているのだ。
多いときは50人も並ぶとか。
客の回転のよさもすごいのだ。
おばさんからかんざらし(コップ)を受け取って
食べ終えるまでに
僕の場合は5分もかからなかった。
いったい、この84歳のおばさんは
一日にいくら稼いでいるのだ。
「ウヒェー!」思ったのには
そんなわけがあったのだ。
ところで、このおばさん
まだ元気で生きておられたら今年は104歳前後になる。
このお店がいまでもそのままあるかどうかも分からない。
何しろ20年も前の話なのだから。
だけど今、かんざらしは島原中の
名物になっていることだけは間違いない。


バックパッカーの旅と心構え・・・を読む。あの日の記憶・メモ 六角堂

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-28 Mon 22:17:15
11.3.28ブログ用本 (5)
「ね、だから言ったでしょ。旅はいいもんだって」著者のあとがきの最初の言葉だ

★バックパッカーの旅と心構え・・・を読む

インドをバックパッカーしたくて読んだわけではない。
タイトルに惹かれたのかもしれない。

1年に及ぶインド(スリランカにも行っている)の旅の記録である。
その間に使ったお金が50万円と書いてある。

僕の東南アジア2回分、日数にして1ヶ月足らずと
ほぼ同じ金額だ。

バックパッカーは、
出来るだけお金を使わぬように、
安く安く旅をする。

食べるもの、宿、交通費を
出来るだけ切り詰めて、
安く安く旅する。

ひとつのゲームみたいになるのだろうか。

ゲストハウスで情報交換をして、
次の旅先やら宿を決めたり、
その種の専門誌などの情報を元に
出来るだけ長く旅を続ける。

この本には、
バックパッカーのための
そうした心構えを読み取ることが出来る。

著者はそんなことを気にもせずに書いているのだろうが、
バックパッカーを目指す者には参考になるのではないだろうか。

ただ、どんなに親しく現地の人に溶け込んでも、
バックパッカーでいる限り、
やはり旅人であることに変わりはない。

旅すなわち移動なのだ。

そんなことも行間に
気づかせてくれた。

あの日の記憶・メモ  六角堂  1987年頃
六角堂
六角堂を上から撮影したもの。今回の津波で流されたとのニュース記事だ
漁港2漁港1
付近の漁港(1987年頃)。今回の津波でおきな被害を受けている

六角堂が今回の津波で流されてしまったという。
ニュースで流れた映像では跡形もない。
土台ごと、きれいに流されていた。
記憶では六角堂は海に突き出た岩場に建てられ、
建物の周囲はガラス張りで、
中が透けて見えていたように思う。
波が岩に当たって砕けると、
そのしぶきが窓ガラスに当たるのではないかと思うほど、
海が近い、いや、海の上に建てられているように見えた。
先月、ドライブでこのあたりまで来た、
六角堂に寄るか寄らないかの話になって、
結局、みな(4人)見たことがあるというので、
パスしてしまった。

冨士、覗き見の感動の瞬間!多分、ひんしゅくをかいながら、2時間の大役を果たした事

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-27 Sun 21:44:57
  • 民謡
11.3.27ブログ用冨士、欅、月例、氷川神社の倒れた灯篭 (3)
菜の花も満開だ。今日も風は冷たかったが確実に春は来た

★冨士、覗き見の感動の瞬間!

今朝の空は澄んで、どこまでも高かった
秋のような青空が広がった。

空気が澄んでいるのだろう、
富士が住宅地の高台からもよく見えた。
ただでさえゆっくりなジョギングペースなのに、
足は全く止まってしまった。

物陰から覗くようにして見る。

なんだか得したような気になるのはなぜだろう。

富士山だって例外ではない。
土手から見る冨士は裾野の広がりも見えるし、
それはそれで美しい。

東海道新幹線の三島駅を出たあたりでは、
目の前に大きな冨士の全容を見ることが出来る。
三保の松原越しに見る冨士も、
冨士五湖から眺める冨士だって、
それぞれみな美しいが、
(覗き見が出来て)得したという気持ちにはならないだろう?

予期しなかったところから見ることが出来た。

それこそ、覗き見の感動の瞬間なのだ。

11.3.27ブログ用冨士、欅、月例、氷川神社の倒れた灯篭 (53)
演奏楽器のひとつである鈴。馬子唄などにはなくてはならない音

★多分、ひんしゅくをかいながら、2時間の大役を果たした事

今日の僕のメインイベント(参加)は何と言っても、
民謡の月例練習会。

各曜日の生徒が一同に集まって行う
いわば合同練習会なのだ。

今日は当番制による順番なのだが、
司会進行の役を仰せつかった。

僕は早口だし、
人前で話すのが下手なのに、
どうして、司会とかに当たるのだろう・・と、
いつも思うのだ。

そして、やっぱり相変わらずの早口で、
余計な台詞を挟みながら、
多分、ひんしゅくをかいながら、
それでも、なんとか2時間の大役を果たした。

お喋りの中で、
東北の大災害の話をいくつか話題にした。

民謡はどれもご当地ソング。

しかも、順番に唄う曲も、
今回震災を受けた宮城、青森、岩手、福島など、
東北地方の民謡が多い。

中には石巻の親戚が未だ行方不明ということで、
涙しながら唄っていた人もいた。

僕が唄った練習曲は“新相馬節”、
やっぱり、福島県の民謡だ。

もう、習い始めて一年近くなるが、
でも、なかなか上手く唄えない。

だから練習が続くということなのだ、
きっと・・・・。

シリーズ・棚の我楽具多(ガラクタ) 17  モビール
10.12.2棚のガラクタ1 (74)
いつ頃、どこで買ったか定かでない。
多分、どこか東南アジアの国だったと思う。
モビールをわざわざ自分のために
買う人は少ないかもしれない。
お土産に買うか、
友人からのプレゼントというのが、
多いのではないか?
僕も友人に2,3度送ったことがある。
風鈴に似て異なる物。
どっちがいいかは分からない。
ただ、風鈴は最初はいいが、
次第にあの音がうるさくなってわずらわしくなる。
いつの間にか外しているというケースが多いのでは?
夏だけのものかどうかは知らないが、
最近はめっきり見ない。
最も昔と違って他人の家の軒先など見ない・・
それもあるなァ。
さて、このモビール、
ずいぶん長い間、部屋に吊るしてあった。
10年以上にはなるだろう。
風鈴ではないが、
いつの間にか棚の我楽具多(ガラクタ)の仲間入りをしていた。

“本日中止”の緊急の回覧(チラシ)が郵便受けに入っていた

11.3.26ブログ用
主催者ならびに関係者の慌てぶりが分かりすぎる緊急回覧のチラシ

★“本日中止”の緊急の回覧(チラシ)が郵便受けに入っていた

今朝、郵便受けに緊急回覧のチラシがあった。

そもそも、僕は“サイクルフェスタin西区”なる
イベントがあるということも知らなかったが・・・。

それはいいのだが、
中止の理由が
『今回の大震災の影響で安全確保の観点・・・』
とある。

それが理由なら、
なぜ、緊急になってしまったのか?
大震災から2週間も過ぎている。

もっと早くに状況が落ち着くと思ったのか?
原発事故がなかなか治まらない不安からか?
「それとも、こんなことやってる場合じゃないでしょ」
くらいの抗議の声でも上がったか?

いづれにせよ、
大会主催者の慌てふためきようが、
手に取るように分かる緊急回覧のチラシだ。


★iPadを直しに息子は走ってやってきたが・・

理由はなんだか分からない。
突然通信が不可、繋がらなくなってしまった。

最近、iPadを使い始めている息子(長男)に来てもらったり、
iPadを使いこなし切ってきる友人に電話したり、
リモートサポートサービスに電話でアドバイス(指導)を受けたり、
それなりに八方手をつくしたが、
結局、分からず仕舞い。

そのうち、折を見て
東京銀座か渋谷のアップルの窓口に持っていくことにした。

ところで、
息子には来てくれるように頼んだものが、
まさか、走って(ランニング)で来るとは・・。

今日は北風が強く寒い。
しかも、息子の家からは向かい風となる。

広い荒川の河川から土手を走って来たと言うのだから、
やっぱり若さだなァ。

風の中は歩くぐらいの速さだったとか。

距離も18キロくらいはあるだろう。
2時間近くかかったと言っていた。

息子はこの2ヶ月ほどでずいぶんほっそりしたようだ。
前が太り気味だったから
普通の体型になったと言ったほうが正解かもしてないが・・。


今日のオブジェ   新芽
05.1.23BS丸山公園鳥観察 001
写真の硬そうな芽は
2月はじめに撮影したものである。
今はもっと膨らんでいるはずだ。

我が家の庭の木々の新芽も
とっくに出揃っている。
やっぱり春は着実に来た。
もうすぐ、一斉に芽吹く。

陸前高田市の高田松原の松が
たった一本を残して全滅。
何もなくなった浜の写真が新聞に出ていた。
先月行った北茨城の旅館“二つ島”の被害状況もネットで見た。
知人の勤める外資系の会社では、
本社から来ていた社員は全員帰国してしまったとか。
さすが、社長一人は残っているそうだが・・。
テレビは依然、大震災と原発事故のニュース。
まだまだ続けざるを得ない状況なのだ。
交通情報と計画停電情報も
しばらくは見続けざるをえないだろうなァ。





たくさんの子供たちが元気に遊んでいた公園

11.3.25ブログ用 (9)
多くの子供たちが嬌声をあげて遊ぶ公園。健全な町の様子が伺える

★たくさんの子供たちが元気に遊んでいた公園

ふたりの孫娘と一緒に近くの公園に行った。
公園では多くの子供たちが遊んでいた。

土・日のたびにこの公園のそばを通るが、
いつも元気な子供の姿が見える。

今日はざっと30人、
周りの道路でローラーボードで遊んで子らが10人ほどいるから、
40人近くに子供たちが集まっていることになる。

徒競走をしているもの、
遊戯で遊んでいるグループ、
サッカー・・・・。

年齢もさまざまで小さい子から
比較的大きな5、6年生と思われる子らも。

そうか、今日は3学期の終業式だったんだ。

明るくていい町なんだろうなァ。


シリーズ・花 4 アカシヤ
アカシア
西田佐知子が歌う
“アカシヤの雨がやむとき”がヒットしたのは
1960年のことだったそうだ。
もう、51年も前のことになる。
僕が中学3年の頃かなァ。
そんな長い間、
アカシヤの花がどんな花だか知らなかった。
つい先日、農家の庭先で聞いて初めて知ったのだ。
これまで、アカシヤと思っていたのは、
実はニセアカシヤのことで、
こちらは白い花だ。
ちょうど山でみる藤の花を
白くした見たいで、
葉(枝?)から垂れ下がるように咲いているやつだ。
そうかァ~、
アカシヤの花って黄色かったんだ。
西田佐知子の歌ったアカシヤはやっぱり
ニセではなくて黄色のヤツだったんだろうなァ。

グループ展ご案内。石器を拾い集めるマニア

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-24 Thu 21:29:37
案内状裏
案内所表

★グループ展案内状

今年のグループ展まで、
3週間あまりと迫った。

今日、知人、友人、恩人、親類・・・・、
100人ほどの人に案内状を送った。

今回は“伊根の舟”(仮題)
P40号“秩父の農婦”
F30号の2作品を出品する。

たっぷりと時間をかけて描いた。


あの日の記憶・メモ   石器を拾い集めるマニア  1998年頃
やじりと石斧
その夜、宮城県の海に近い民宿に泊まった。
夕食後、8時を過ぎたばかりであったが、
明日のために早寝をしておこうと布団に入った。
しばらくすると狭い廊下を挟んだ向いの部屋から話し声が聞こえてくる。
だんだん声は大きくなり、
笑い声も交じり、
うるさいほどになった。
いったい、こんな時間に何を騒いでいるのか?
「あのー、何をお話されているのですか?」
僕はふすまをそっと明けて、
恐る恐る、しかしながら興味ありげな顔をして(多分)聞いた。
××「あー、失礼。うるさかったでしょう。
これですよ。いやー、今日はたくさん拾えたものでね」
「拾えたって、これ石器じゃないですか。
やじりでしょ」
××「えー。こちらのは石斧ですね」
「これって、どこに落ちているんです?」
××「田んぼですよ」
テーブルの上には60あまりの矢じりなどがなどがならべられ、
それを眺めたり、いじったりしながら
今日の成果を喜び合っているのだった。
一人は獣医さんで、あとの一人は中学校の先生だという。
二人とも石器拾いが趣味なのだとか。
「これって拾っていいんですか?」
××「いいんですよ。
但しね、掘っったり、土を除けたりしてはいけないです。
ひたすら下を見ながら、田んぼを歩くんです。
お百姓さんが土を耕すでしょう。
そうするとね、埋もれていたのが表面に出てくるんですよ。
それを拾うっていうことです」
あらかじめ役所や図書館に行き、
古地図で古墳のあった場所を調べる。
たいていそんな場所は、
今は田んぼか畑になっているらしい。
その場所の所有者に許可をもらって、
拾わせてもらうのだそうだ。
獣医さんは1500以上は拾い集めたと言っていた。

本棚に取り付けておいた倒壊防止の鎖が役に立っていた。グループ展近づく

CIMG4603.jpg
we.jpg
ガラス戸付きの本棚なので倒壊しなかったのはよかった。この鎖のお陰だ

★本棚に取り付けておいた倒壊防止の鎖が役に立っていた

今朝の余震はかなり揺れた。
それも、2度、3度。

本棚の倒壊防止用鎖の留め金が、
3月11日の大震災で壁から抜けてしまっている。

今日の余震で、
こりゃ早く取り付けし直しておかねばと、
ようやく直す気になった。

大震災の時に本棚が倒れなかったのは
多分、この鎖のお陰なのだから。


11.3.23ブログ用 (31)
グループ展は4月18日(月)~4月24日(日)まで。会場は“東京銀座画廊”です

★分かりやすい風景画中心のグループ展近づく

来月の18日から開催の
グループ展まで1ヶ月を切った。
そろそろ案内状を送らねばならない。

今日、切手を買ってきて案内状に貼った。
あとは、僕の会場にいられる日時を記すだけ。

風景画が中心で、
とても分かりやすい絵ばかり。

お時間のある方、
ぜひ見に来てくださいね。

CIMG4582.jpg
「ハイド的な面をあなたも持っている」と問われたらあなたはどのように答えますか?

★映画「ジキル博士とハイド」DVD  1931年 アメリカ

ホラー映画と思いきや、
もともと、人間は二面性を持つということを
テーマにした真面目(?)な内容のようだ。

二重人格といってもいいのかなァ。

ハイド的な一面をあなたも持っている?
と質問されたら、
僕なら何と答えるか・・・・・?

「僕は持ち合わせておりません」
と答えてしまうだろうなァ。

淀川長治さんが選んだクラシックベスト100に入っている。


あの日の記憶・メモ  1998年 北大民謡クラブ発表会 
hokkaidou.jpg
札幌転勤中のことだ。
会場はどこだか覚えていない。
新聞か何かで見た、
“北海道大学民謡クラブ定期演奏会・発表会”
入場料は600円ぐらいじゃなかったかなァ?
観客は数百人はいたと思う。
ほぼ満席状態だ。
唄、踊り、劇と盛りたくさんで、
若いエネルギーを
撒き散らかすかのような熱演が続いた。
僕はこういうのって
けっこう好きなのかもしれない。

「必要ならいつでもこちらにいらっしゃい」と韓国の友は言ってくれた。計画停電とはその間・・・・・

★「必要ならいつでもこちらにいらっしゃい」韓国の友は言ってくれた

韓国の友人から、
お見舞いの電話を受けた。
大震災の翌日12日についで2度目である。

韓国の友人××「ゴローさん、
何か必要なものはありませんか?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

韓国の友人××「そうですか。
ゴローさん、必要ならいつでもこちらにいらっしゃい。
一家で来てもいいですよ」

知り合ってから40年にもなる友人だ。
その間、幾度となく会っている。

韓国で会ったことは僕が行った2度しかないが、
彼は幾十回となく来日していて、
そのたびに会ってきた。

ありがたいことである。

韓国でもKBS(日本のNHKにあたる)が連日、
トップで報道しているという。

原発事故の成り行きは
世界が注目している。

どのような方法で、
どう治まっていくのか。

被災者を含む国民の全体が、
どのような対応、そして行動をしたか・・・・。


11.3.22ブログ用 (10)
3枚のキャンバスを購入した

★計画停電とはその間、何もかもストップしてしますことなのだ

注文をしておいたサイズの違うキャンバスが出来上がったというので、
車で取りに入った。

家を出て2キロも進まないうちに
道路の両サイドが真っ暗になった。

信号も停止している。
運転もより慎重にならざるを得ない。

「昼間、何度も電話したんだけど、
ぜんぜん出ないから休みかと思っちゃったよ」

画材屋××「停電だったモンで・・」

停電になるとお店も開けない。
サラリーマンも営業活動も、
レストランも工場も止まる。

僕の頭の中には
50年以上も前の停電があった。

ローソクや懐中電灯、
中にはカーバイトの明かりが灯る店もあった。

アメリカで大成功を治めた
ロッキー・青木氏は
1965年のニューヨーク大停電が
そのきっかけと言うのが伝説になっている。


★はてな?ショット
10.12.16トマソンごみ捨て禁止30年 (10)
もう25年以上も変わらぬ光景。
いや、変わった。
昔は配線類のゴミが家の屋根を超えるほど
うず高くつまれていた。
一時よりは減ったがストップしたまま。
今では上に草が生え、夏になると緑に覆われる。
不法投棄監視中・・・25年以上もいったい誰が?
芝養生中につき立ち入り禁止・・・これって不法投棄が始まる前?
□□□□企画・・・・所有者なのかなァ?
他、塀のしたに大きな看板があって
警告 不法投棄禁止 懲役 罰金
とある。

風評は誰がつくる(流す)のか?

★風評は誰がつくる(流す)のか?

解説者××「放射能は基準値を超えていますが、
食べてもただちに人体に影響がでるわけではありません。
しかしながら、食べなくて済むならできるだけ食べないほうがよいでしょう」

今日の某放送局のニュースの解説者の言葉だ。

風評というのは、
故意に作ったり、流したりしている人は
実はほとんどいないのではないか。

多分、この解説を聞いた何人かは、
最後の部分だけを取って、
他の人に伝える。すなわち、

風評人××1、「テレビで言っていたよ。
できるだけ食べないほうがよいって」

次の人に伝わるときには、
風評人××2「テレビで言っていたって。
危険だから絶対にたべないほうがいいわよ」

“政府には正確な報道を出して欲しい”というのもあった。

これも同じことが考えられる。
政府や、東京電力の対応を批判するようなことを言う
コメンテーターがいるが、場合によっては
風評を広める原因になりかねない。

伝えるほうも、聞くほうも慎重でなければなるまい。



11.3.21ブログ用映画 (24)
朝から4時間ほどかかって練習曲をパソコンに取り込んだ

★民謡のカラオケCDを図書館で発見

稽古中の曲(民謡)のカラオケCDを昨日図書館で発見、
すぐに借りた。

習っている曲のカラオケを探すのはけっこう大変だ。
民謡曲専門のレコード(CD)屋さんに行けば
ある曲もあるのだが、CDってけっこう値が張り、
二の足を踏んでしまう。

ラッキーなことに、たまたま寄った図書館にあったのだ。

今日は早速、朝から4時間ほどかけて、
それらのCDをパソコンに取り込んだ。

これで、気楽に(繰り返し)練習できる。

もっとも、孫娘から「ジー、うるさいよ~」
って言われるけど・・。

11.3.21ブログ用映画 (16)
これまで、何度も映画化されているらしい。全部を見て比較してみたいものだ

★映画「伊豆の踊り子」DVD 監督 野村芳太郎 1954年

主演は美空ひばり、石浜朗。
美空ひばりが17歳の時だというから、
うなぎのぼりの人気が
まだまだ上昇中だった頃ではあるまいか。

いい映画は
原作(脚本)がシッカリしている。
映像が美しい(いろいろな意味で)
俳優が上手い(適役)
・・・などなど。

他にもあるかもしれないが、
それらをまとめているのが監督で、
監督次第で出来もずいぶん違ってくるのだろうと、
この映画を見て改めて、
そんなようなことを思うようになった。

この映画のいちばん気に入ったところは、
画面のロケーションだ。

昔の伊豆の景色、街道、生活、風俗、習慣・・・。
とても今では作れそうもないなァ。
間違ってもCGなど作れるものではないぞォ。

画面に舗装された道路が全く出てこない。
美空ひばりの存在感。

伊豆に踊り子がいた時代に浸れた1時間半だった。

11.3.21ブログ用映画 (28)
3作とも暗い内容だが白黒の映像画面が美しい。沈黙と緊張の1時間半だ

★映画「ふくろうの河」DVD 1962年 フランス

全く予期せぬ内容の映画であった。
ネット上の解説を引用させてもらう。

『映画「ふくろうの河」はその「兵士の物語」から3つの短編を選んで映画化したものなのだ。第1話の原作は「ものまね鳥」、第2話が「チカモーガ」、第3話が「アウル・クリーク橋の一事件」なのである』

どんな古い映画でも、
ネットで内容から感想・解説まで閲覧できるので、
映画鑑賞素人の僕にはとても有り難い。

3つの短編ともほとんど台詞がない。
沈黙と緊張の連続だ。

3話目の「アウル・クリーク橋の一事件」が最も有名な作品らしく、
アカデミー賞、カンヌ国際映画祭で短編賞を受賞している。

ラストシーンが衝撃的で、
当時、かなりの問題作(話題)とあった。


シリーズ・棚の我楽具多(ガラクタ) 17 こけし
10.12.2棚のガラクタ1 (32)
東北のこけしは十系統あるのだそうだ。
土湯、弥治郎、遠刈田、鳴子、作並、
蔵王・高湯、肘折、木地山、南部、津軽。
どこも温泉地だ。
こけしと温泉は切っても切れない中なのだ。
だから、こけし集めが趣味の人は、
この10の温泉に行かねばならない。
僕は3本しかも持っていないが、
これらの温泉地には全部行っている。
ただ、こけしを集める趣味がないだけだ。
でも、こけしに何か旅情を思わせるのは、
東北、温泉を連想するからではないか。
たいていの家に1本や2本はあると思う。

大災害は多くの人の人生を変える。どんなことがあっても季節は巡ってくるんだァ・・・

★僕は以前、被災地を訪れていた  その6

直接、間接の被害、そして関わり。大災害は多くの人の人生を変える


我孫子市では壊れた家230棟、356号線はまだ不通と友人から連絡が入った。
報道に乗らないこうした被災地も相当数あるにちがいない。

タイに住む友人からの情報では、
タイから日本への観光旅行は全てキャンセルになった。

逆に日本で海外からの観光客を受け入れている知人は、
予約が全てキャンセルとなってがっくりと肩を落としている。

知人の女性から原発の反対運動に立ち上がると電話が入った。

直接、間接の被害、そして関わり、
大災害は多くの人の人生を変える。

06.11.23小名浜港 011
小名浜港は大きい。さまざまな種類の船が係留され、また港内を出入りしていた
。ここの被害(いわき市)も甚大だったようだ

04.4.24.25銚子ボーイ下見 029
銚子(千葉県)の灯台。大きな被害を出した旭市はすぐ隣。ここにも強大な津波が押し寄せた

04.4.24.25銚子ボーイ下見 057
九十九里海岸の北の端付近にある海沿いの家はどうなった?

伊豆沼
日本最大級の渡り鳥の越冬地として名高い宮城県の伊豆沼の鳥たちは?

鳴瀬川
隣の美郷町(旧南郷町)の鳴瀬川では白鳥たちに餌をまいていた。近くのパン工場からミミなどを提供してもらっているのだそうだ。この日、餌を食べにきた白鳥は2000羽。大きな袋がいくつあったろうか。手伝いを頼まれて一緒にまいたが、けっこう大変な仕事だった。白鳥たちは変わらず今日も餌を貰えているだろうか?




11.3.20農家の庭の花木 木蓮 こぶし (7)
こぶしの木は、この地に移り住んで以来あちらこちらで切られているのを見ている。花の咲く木は咲いてからその木の存在を知る場合が多いが、だから余計?にこぶしが減っているのがわかる。そのよう中で、この農家には7本も大きなこぶしがつぼみを膨らませていた

★どんなことがあっても季節は巡ってくるんだァ・・・

あまりの大災害そして事故。
リアルタイムの激映報道に、
身も気力も奪われたかのような10日間であった
(まだまだ、続くが・・)。

久しぶりに
ジョギングをしてみれば、
もう春になっていた。

農家の庭先は
花木が満開。

どんなことがあっても季節は巡ってくるんだァ・・・
を実感!


10.10.23結夢七五三 (35)
地元の秋葉神社、大宮の氷川神社、鷲宮の鷲宮神社、川越の喜多院か成田山。我が家ではこれらの神社のどこかでお札を貰う

★4番目の孫のお宮参りでとても印象的だったこと

すこし遅れてしまったが、
孫のお宮参り。

これまで、
どの子も誕生1ヶ月目くらいでお宮参りをしていた気がしたが、
4番目の孫のお宮参りは2ヶ月目が目前の今日行った。

“大災害の後だから、きっと空いているよ”

なんて嫁(息子の)に言ったのだが、
とんでもない、
前回の七五三(昨年11月)で来たときと
同じくらいの混みようだった。

JRの駅前は義捐金集めのボランティアがいっぱいだ。
中には外国人の人もいた。

大宮駅周辺や、氷川神社には
いかにも避難してきた人たちだなと、
分かる服装(ジャージ姿など)の人がいた。

しばらくは続くであろう。

子供、孫とであわせて7回目のお宮参りだが、
今回が一番印象に残るかな?

11.3.20ブログ用映画 (4)


★映画「同胞(はらから)」 1975年  山田洋次監督

何と爽やかな映画なんだろう・・・と思った。
見た後に、心に爽やかさが残る映画って、あったんだァ・・って感想。
岩手県の松尾村(現八幡平市)で実際にあった話らしい。

そう言えば、八幡平市(松尾村)には昨年の秋・・
行った行った。

やたら広いところだと思った。
映画の通りの素朴なイメージのところだ。

それだけに余計に爽やかに思えたのか?
文部省特選にして、
中学・高校生に見せたいな。


以下、蛇足。

映画の最後のシーンでは、
倍賞千恵子が夕張(北海道)にいるのだった。

まず炭住(炭鉱住宅)が映し出される。
それを見た瞬間、僕はここは夕張だと分かった。

山田監督は次に「幸せの黄色いハンカチ」を作る(寅さんシリーズ以外で)が、
この映画でも夕張を使っている。

一度行ったら忘れられな郷愁を感じる、
夕張ってそんな町だった。

夕張へはいつか、また行きたい。
ぼくは今でもそう思っている。

地震で大災害を受けた場所は民謡のふるさとであった

★僕は以前、被災地を訪れていた  その5

地震で大災害を受けた場所は民謡のふるさとであった

八戸小唄(青森県)、
気仙坂(岩手県)、
磯節(茨城県)
磯原節(茨城県)、
さんさ時雨(宮城県)、
お立ち酒(宮城県)、
斉太郎節(宮城県)、
新相馬節(福島県)、

今日は一カ月ぶりに民謡の稽古に出た。

師匠××「みんなが日ごろ練習している民謡には
今度の地震で大被害を受けている場所のが多いね」

と、師匠(唄の先生)が言う。

たしかに、僕が通う土曜会だけの練習曲を
ざっと拾ってみても多い(上記)。

八戸小唄は練習に入る前に、
声慣らしに全員で唄う局だし、
とくに、下の四曲は僕自身の練習曲だ。

新相馬節は来週の月例会で唄う予定で、
今日も練習した。

磯原節は北茨城の民謡で、
つい、一ヵ月ほど前に、
気の置けない仲間4人と
海岸沿いの宿で、鮟鱇鍋と温泉を楽しんだばかりだった。

会で義捐金を募ることにした。

月の浦
月の浦はその名のとおり美しい入り江だ。支倉常長が慶長遣欧使節としてメキシコに向かって出航(帆)した港がここだということはあまり知られていないのではないだろうか。それだけに、静かでロマンあふれる入り江(港)。僕はそのロマンに惹かれて2度行っている。当時(12年ほど前)は牡蠣の養殖が盛んなところらしく、帆立の貝殻から牡蠣の稚貝を取り出している漁師と長いこと話をした

桂島
塩釜から連絡線で行く浦戸諸島(有人四島)の一番手前の桂島。釣り人が多く訪れる島と聞いた。港付近は平地もいくらかあって民家が建ち並んでいたように思う

海苔の養殖
塩釜湾を抜け、松島湾に入ると。航路の両サイドでは海苔の養殖が盛んに行こなわれていた。松島湾の遊覧船では見ることのできない?美しい風景ではなかったか?

女川
女川市の港付近を対面の半島から撮影したもの。街も港もきれいに整備がなされていたように記憶しているが・・・

11.2.14-15旅行北茨城 (30)
今日のニュースでは、水戸(茨城県)の“弘道館”も大きな被害にあったとか

11.2.14-15旅行北茨城 (73)
北茨城の海岸沿いの家。少し高台ではあるが、手前の柵が海沿いの道路であることを考えると・・・(北茨城の旅館の4階から撮影)

11.2.14-15旅行北茨城 (105)
那珂湊の観光魚市場。大変な人気で、休日ともなると東京を始め各地から観光バスが連なるほどだ。僕は5年前、この港の岸壁から停泊中の漁船を絵に描いた

旅館カタログ
一ヵ月ほど前に行った北茨城の海岸沿いの旅館のパンフレットから。津波をまともに受けたことであろうと思われる。当たり前だが、電話は全く通じることはなかった

マスコミ各局にも何かやるべき事があるはずだ!

★僕は以前、被災地を訪れていた  その4

マスコミ各局にも、何かやるべき事があるはずだ!


情報が増えるごとに、
被害も拡大している。

救援物資が届けられない場所もある。
電気や水もない。
朝は零度を下回る寒さだという。

原発の事故も
収縮に向かっているのか、
拡大しているのかわからないありさまだ。

しかしながら、
どちらも懸命の作業が続けられている。

埼玉アリーナでは、
避難民の受け入れが始まったと、
今日のニュースだ。

情報はテレビのお陰で、
リアルタイムで入ってくるが、
被災者たちには通信手段も得られない、
そんな被災地もまだまだあるようだ。

マスコミ各社(人手も財力もある)は
被災者たちの(苦しんでいる)姿を、
茶の間に流すだけでいいのだろうか?

政府や東電の対応を論じているだけで
いいのだろうか?

どこか、何か違う?

たとえば、報道を義務としているのだから、
連絡がとれない地区に、いち早く出向き、
テレビ、ラジオなどで、情報を得られるようにしてあげたり、
何か可能な通信手段を作ってあげる・・・とか。

そうしたことを各局が競ったとしたら、
それは素晴らしいことだ。

何かできることがあるのではないか?

テレビを見ていてそう思った。


八戸
八戸市。ウミネコの繁殖地として有名な蕪島から映す

松島
松島市。左の塔は平成14年に営業を終えた松島タワー

大船渡
大船渡市近くの小さな漁港

久慈市普代村
普代村漁協の建物が見える(久慈市)


★今日やったこと

□映画(DVD)2本を見る
□孫娘二人と遊ぶ

11.3.18ブログ用 (16)
映画「午後の遺言状」1995年。新藤兼人監督83歳時の作品だ。その年の日本アカデミー賞を始めたくさんの賞を受けている秀作。主演の杉村春子の映画出演最後、音羽信子の遺作という作品でもある

11.3.18ブログ用 (3)
映画「いいかげん馬鹿」山田洋次監督の1964年の作品。寅さんシリーズの元になったような内容。当時の四国の風景が美しく描きだされ、画面の映像を見ているだけでも楽しめる

リンク
二人の孫娘とは、お隣り上尾市の公園にいった。遊具が揃っている上にローラースケート(ブレード)のリンクもある優れ公園。今日は小学1年の孫娘が練習した


シリーズ・庭の我楽具多 10  碁石海岸(付近)の石
10.10.17庭のガラクタ (20)
碁石海岸は岩手県の大船渡市にある。
今回の震災で大被害を受けたところだ。
碁石海岸の石は黒い。
海辺の海岸が碁石を敷きつめたように見える。
名の由来だ。
国の名勝であり、
天然記念物なので
持ち去ることは出来ない。
この石は、
近くの別の海岸で拾ってきたものである。

多賀城、塩釜、松島海岸、高城町、野蒜・・・はそれぞれ仙石線の駅名でもある

★僕は以前、被災地を訪れていた  その3


多賀城、塩釜、松島海岸、高城町、野蒜・・・はそれぞれ仙石線の駅名でもある

「××さん、ご実家のほうはどうですか?
震災にあわれませんでしたか?」

××「イヤー、ご心配くださいまして。
ありがとうございます。
幸い家は山のほうなので、何とか助かりましたが、
二人の親しい友人と連絡がとれないんですよ」

電話の相手は岩手県の久慈市に実家のある知人だ。

津波は内陸数キロメートルに達するまでも襲った。
相馬市、南相馬市、岩沼市、名取市、塩釜市、石巻市、
田老町、気仙沼市、利府町、宮古市、久慈市・・・・・、
僕が12年前に行ったことのあるところの多くは、
海沿いばかりでなく町の中心部までも壊滅状態になっている。

相馬野馬追
“相馬野馬追”のクライマックス神旗争奪戦は、戦国時代の闘いを見ているようだった

10メートルの津波が襲ったという相馬市に
15日、最初の届いた物資が遺体を収める200個の棺桶だったと、
ネットで報告されてた。

南相馬市の津波後の映像を見るとまさに壊滅状態。

相馬市、南相馬市は毎年、東北の祭りとして名高い
“相馬野馬追”が行われる町だ。

毎年、500余騎が参加するといわれる。
馬にまたがるのは甲冑姿の人たち。

馬は旧氏族や農家によって
何代にも渡って飼育されつづけてきているもの。
(近年は他県からのレンタルも多いらしい・ネット情報)

人も馬も、伝統行事の継承者も
その多くが失われてしまったのだろうか?

仙台駅
仙石線の仙台駅。仙石線は終点の石巻駅に海沿いの町を繋いでいる(写真の日付は2009年の誤りです)

テレビで報道される災害を受けた町の映像にもいくつか出てくる。
多賀城、塩釜、松島海岸、高城町、野蒜・・・、
はそれぞれ仙石線の駅名でもある。

仙石線にも何度か乗った。
多賀城市はその名を取った歌手の出身地でもある町だ。

仙石線そのものも壊滅的な打撃を受けている。
列車が脱線し津波のなすままになった様子が映し出されていた。

女川原発
定期船は女川原発の沖合い通る(中央)。こちらも津波に襲われたと思われるが、被害がなかったことを祈るだけだ

牡鹿半島沖合いの金華山に一般住民は住んでいない。
今回の被害状況をネットで調べたところ、
宮司さんほか3名は無事との事。

この島には女川から定期船で行った。
半島の付け根近くに
女川原発が見えた。

岩沼
“さんさ時雨”全国大会の会場には朝から決勝戦が終わる夕方までいた

岩沼市と隣の名取市との境に仙台空港があると聞けば、
被害がどれほどひどかったか知れる。
仙台空港の惨状が連日のようにテレビに映っていたからだ。

岩沼市に行ったのは
宮城県民謡“さんさ時雨”の
全国大会を聞く(見る)ためだ。

それがきっかけで、
“さんさ時雨”を覚えたくなった。

10年後の一昨年から、
やっと民謡を習い始めている。

岩沼市は
僕はそれまで市の名前すら知らなかった。
しかし、その歴史は古い。
僕が不勉強で知らなかっただけだ。

奥州街道の宿場町として
ずっと昔から栄えていたらしい。

往復したバスの車窓からは
古い瓦屋根の軒先が見えた。

いつかまた、仙台に来ることがあったら、
きっとこの町を散策しようと思ったほどである。

11317ブログ用 (8)
ガソリンを入れに早朝から並ぶ
11317ブログ用 (23)
2人の孫娘と寿司ジャンゲーム

★今日やったこと

□車にガソリン入れるために早朝から並ぶ
□久しぶりに図書館へ行く
□二人の孫娘と犬の散歩+寿司ジャンゲーム


シリーズ・消え行く風景 5   農婦
04.2.7永田家ほか付近の2 001 (7)
人が働く姿を見て心が癒される。
年老いた“農婦”には
人を癒すオーラがあるのかも知れない。
田や畑の多い我が家の周りには
そんな風景がまだ見られる。
この畑が住宅に変わるのはもう間近?
隣の畑が埋められ、
いま何軒かの家が建とうとしているのだ。

女川港から、塩釜港から、気仙沼港から行ったあの島々はどうなってしまった・・。比較的保存の効くものが買い込まれているらしい

★僕は以前、被災地を訪れていた  その2

□女川港から、塩釜港から、気仙沼港から行ったあの島々はどうなってしまった・・

連日、被災地の様子をテレビでみるが、
島々はどうなっているのだろう。

青森県の蕪島はその映像がテレビに映し出されていた。

ほかに、僕が行ったことのある宮城、岩手の島々はどうなっているのだろう。
通信は不可だろうし
もちろん船で行くこともまだ無理?なのでは。

高台のある女川沖の江島なら、避難も可能だろうが、
浦戸諸島の朴(ほう)島などほとんど平らだ。

野々島はどうだったか?


女川港の沖合い10キロのところに江島はある。
100人あまり(ネット調べ。僕が行った12年前は248人と島の人が言っていた)の島なのに、
女川港からすごく立派な、不釣合いとも思える高速船が
いまでも一日4便も出ているらしい。

僕が行ったときも同じだった。

もちろん、客はがらがらだ。
ずいぶん贅沢な連絡線だが、
理由は女川原発の見返りなんだと、
同じ船に乗り合わせた人が教えてくれた。

津波も事故もなければ
原発は有り難いのかもしれないが、
今回の福島第一の原発事故はあまりにも悲惨だ。

女川
女川港。ここから江島(えのしま)への高速船が出ている
江島2
江島の漁港。当時(1998年)の人口は240人台と島の古老から聞いた。40代以下の大人がいないのは、小学校から子供がみな石巻の学校に通うので、親も本土へ引っ越すからだといっていた
江島
江島にはその歴史が面白くてどんなところか興味を持って行った。島を巡ってみたが細く急な坂道が人家の庭を抜けるようあった


気仙沼大島は気仙沼港から目と鼻の先といったくらい近い。
テレビでその惨状を報道していた。
津波の後、火事になったことも。

気仙沼漁港ではマグロやカツオ、サメ(ヒレ)のセリを見た。

300万円近くのりっぱな本マグロ?を始め
さまざまな種類のマグロが並んでいた。

一匹8000円でセリ落とされるカツオもあることをしった。

遠洋漁業から帰ってきた船が
直接岸壁にマグロやサメを下ろす。

実に豪快。

これこそ一度は見てみたかった
漁港の中の漁港だと
僕はその時思ったものだ。

気仙沼港
気仙沼港には外洋に出るのだろうか大きな漁船がたくさん係留していた。こんな大きな船が津波に押し流されて、町の中にまで運ばれたのか?
気仙沼港2
気仙沼大島へはこの気仙沼港から渡る。連絡船は湾を回り込みようにして島へ向かった
気仙沼大島
気仙沼大島が近づくにつれ、湾内には牡蠣の養殖棚が広がる。それをぬう様にして船は島の湊へ向かう


浦戸諸島は塩釜港から連絡線で行く。
松島の外を大きく回るのだが、
いくつかの岩や島(無人)と、
海苔?の養殖場の間をぬう航路が
とても美しくまるで、観光船に乗っているようなのだ。

船もいい、島もいい、おまけに船代は安い。
僕は4回も行った。

とくに、寒風沢島(さぶさわしま)は歴史も古く、
一時間もかからず、一周してしまえるくらいなのに
日本で始めての軍艦がこの島で建造されているのだ。

島にはりっぱな方位石があり、
僕は7年ほど前にその方位石の拓本を採りに行った。

縛られ地蔵と方位石。
僕はこの島が大好きになった。

寒沢島
寒風沢島は浦戸諸島の中心的な島。小さい島とは思えないくらい多彩な歴史を持つ興味が尽きない島なのだ。千石船が行き交った頃には遊郭もあったという
塩釜港
浦戸諸島(四島)へは塩釜港から連絡船で行く。島もこの塩釜の港もどうなってしまっただろう
朴島
朴島は四島の中では一番奥で一番小さな島。現在の人口は40人(ネット調べ)。1平方キロメートルの大きさもない島。岸壁につんであるのは帆立貝の殻。牡蠣の養殖に使うものらしい


11.3.16ブログ用空っぽの棚 (4)


★比較的保存の効くものが買い込まれているらしい

夕方、スーパーに買物に行った。

買占め?買い込み?買出しがすごいと
聞いていたが、
棚にはけっこう商品が並んでいた。

・・・・と、よく見ると全く品切れの棚がある。
ひとつでない、あそこも、ここもだ。

何が売り切れ?

パン類、即席めん類、乾麺類、缶詰類、お米、
多分、肉類でも保存の効くハムやソーセージなどは
売り切れているのかも知れない。

お豆腐と納豆もなかったなァ。

反対に、生鮮食品、とく魚類、野菜類はほとんどふだんと変わりない。
お弁当や惣菜もふだん通りならんでいた。

ちなみに、僕の買物はニラと一緒に炒めるレバーだった。

★今日やったこと

□ラオス、タイの録音をCDに焼き付けた
□ラオスで知り合った人たちにお礼のメールと写真を送付した
□絵の事少々

シリーズ・花 3 蓮
花
蓮と睡蓮の違いをネットで調べた。
蓮は水の上に高く咲くが、
睡蓮は水面に咲くのだそうだ。
いずれにせよ、
真夏の花で今の季節ではない。
しかし、蓮は仏教と関係が深い。
お寺には蓮の花だし、
タイでは仏様(仏像)への献花は蓮が多い。
この地震、津波で犠牲になられた方々にささげたい。


あの日、田老町の堤防は城壁のように見えた。買い置きはしたくなかったけれど・

田老2
たろう
田老町を城壁のように囲んでいた堤防。右サイドの家々は先日の津波で消えてしまった・・

★ぼくは以前、被災地を訪れていた その①

□あの日、田老町の堤防は城壁のように見えた

今回の地震で壊滅的な状態となってしまった岩手県の田老町。
湾口防波堤として世界屈指(ネット調べ)のこの堤防は高さが10メートル、
もちろん津波対策に作られたものだ。
長さは2.5キロにもなるという。
城壁のようにも見えたし、頼もしくも思えた。

今回襲った津波は、
この堤防を軽く越えて町を襲った。

写真は12年前に撮ったものである。
僕は堤防の上を50メートルほど歩いた。
幅は40~50センチくらいはあるだろうか。
それでもすこし怖かった。

そのほか、景勝地として知られたところはどうなったろうか?

付近の港や町はみな壊滅状態だと聞く。

この風景を見守ってきた人々からも、
この風景の中で生活をしてきた人々からも
多くの犠牲者が出ているのだ。

IMG_0002.jpg
陸中海岸国立公園の中心的な観光地である浄土ヶ浜。ネット上の写真を見ると海沿いの漁師の家は壊滅、漁船が道路に乗り上げていた(岩手県)

IMG_0001.jpg

高田松原 6200本の松が植えられ、日本の三大松原に数えられる景勝地。多くの作家、歌人らが訪れているらしく、松林の中にはいくつかの歌碑が建っていた(岩手県・陸前高田市)

IMG_0003.jpg
福島県の相馬にある。潟湖(かたこ)と呼ぶそうで湾が砂州(さす)によって外海から隔てられ湖沼化ところ。A級観光地ほど知られてはいないかもしれないが、とても美しいところだ


★買い置きはしたくなかったけれど・・・

地震・原発事故のニュースは
リアルタイムでほとんど24時間放送で流されている。

計画停電なるものまで現れた。

ニュースンキャスター、
コメンテーターの話に
煽られるように聞くほどに不安になる。

さらに、余震は止まず・・。
たった今もかなり激しく揺れている(ただ今、午後10時30分)。

我が家には生まれて2ヶ月足らずの赤子もいて、
さすがに不安になってくる。

嫁(息子の)さんに、
少々の買出しを頼んだら、
持たせた金額の半分も買ってこない。

スーパー、コンビニに物が無いのだそうだ。

そこで、心当たりの店に狙いをつけて僕が行った。
まァ、何とか一週間分くらいの食べ物は確保したか?

しかし、これではふだんの一週間分の買物と変わらないかァ。

CIMG4370.jpg
かぼちゃと乾燥芋と青いバナナを買った。これだけで5人家族なら・・・・・・


★今日やったこと

□買出し
□2人の孫娘と遊ぶ
□4月のグループ展に出す絵を額縁にはめる
□タイ・ラオスの録音テープ整理

人が困っているのにつけいる悪質業者は許しがたいなァ

★人が困っているのにつけいる悪質業者は許しがたいなァ

「屋根の瓦がずれてしまいましたね」

3軒隣のご主人が自分の家の屋根を見上げているので声を掛けた。
先日の地震で屋根瓦が何枚かずれているのだ。

××さん「えー、そうなんですよ」

そう答えた後で××さんがが言うには、

××「一昨日、地震があった日なんですが、
リフォーム屋だかの営業マンが来て名刺をくれるんですよ。
それで“屋根瓦のずれているの直しますよ”って言うから、
ずいぶんタイミングよく来たもんだと思いながらも、
いくらぐらいかかるんですか?

って聞いたら、すぐに見積書を書いてくれたんです。
そしたら、いくらだと思います。
43万円って書いてあるんですよ」

「そりゃ高い」

××「そうでしょう。
しかも内訳を見たら、
職人の手間賃が一日5万円が2人、
それも3日来るから30万円になっているんです。
職人の手間賃ってそんなに高いんですか?」

「そんなことありませんよ。
僕は実家がリフォーム屋だったし、
屋根葺きもやっていたから多少は知っていますが、
そんなには高くないはずです」

CIMG4359.jpg
応急処置をした××さん宅の屋根

××「そしたらね、
今日、また別な人が来るんですよ。
やっぱり名刺をくれるんで、
見たら昨日の会社と同じじゃないですか。

それで、その人に
“お宅の会社の営業マンが来て
昨日この見積書を置いていったのだが、
あまりに高いと思ったので、そのままにしてあるんだ”
って言ったんです。

そしたら、その営業マンが
“こりゃ高い!これは断わってしまいなさい!
私が30万円でやってあげますよ”
って言うんですね」

悪質業者かそれに近いのではないか。
明らかにグル?

人が困っているのにつけいる
このような業者は許しがたい。

結局、××さんは近くで同じような状況の屋根を直していた
業者の人にお願いしたそうだ。
そこは、5000円で応急処置をしてくれた。
しかも見積もり金額も8~10万だということだったらしい。

11.3.12地震2 兄の作品(家)と倒れた灯篭 (12)
この写真は××さんのお宅とは関係ありません。一昨日、江東区にある被害を受けたお寺の屋根を撮影したものです。××さんの家の屋根は棟の部分が10枚程ずれ落ちた(屋根の上にです)ぐらいです


★今日やったこと

□孫娘とTSUTAYA
□軽くジョギング
□絵にサインを入れる
□タイ・ラオスの録音の整理の続き
□やっぱりテレビニュースにかじりつき


★この4日間で中止したこと

1、金曜日 地震で予約した歯医者に行けず(行く途中JR内で地震に遭遇)。
2、土曜日 高校の同期会は中止(当日朝の中止決定)。
3、土曜日 夜の民謡の練習会中止。
4、日曜日 図書館が休み。
5、月曜日 墓参り・所用での浜松行きを取りやめ。


シリーズ・花 2 すみれ
05.4.9庭の椿とろでむ 001
野生?のすみれか。
何とも可憐な花びらが
クローバーの脇に見えた。
別に植えたわけではないが、
多い年は5,6株咲いた。
と、これは4,5年前の話だ。
今は駐車場に息子らの車がもう一台加わったもので、
ほとんど一日中、
陽が射さない場所になってしまった。
クローバーも無くなった。
鳥たちが種を運んできてくれても、
もう、咲くことはないどろうなァ。

不安を増徴させるような扇動メールは他に転送してはならないぞ!

大地震の被害は広がる一方だ。
原発事故も加わって
未曾有の大災害となった。

家にいても、
何か落ち着かず、
ついニュース番組に目が行く。

何ができるわけでもないが、
ただ、じっとしているのも申し訳ないような気がするのだ。

犠牲者の方々にはお悔やみを申し上げる。
また、被災者の方々には、
早く元に戻ることができるよう
心からお祈りを申し上げたい。

今日やったことは
□孫娘2人と遊ぶ。
□その孫娘を風呂に入れる。
□息子と倒れた石灯籠(10坪もない狭い
 庭に3其も置いてあり、いずれも倒れた)を直す。
□キャンバスに向かう(絵描き少々)
□ラオス、タイでの録音の整理を始める
□買物にお付き合い


★不安を増徴させるような扇動メールは他に転送してはならない

ガソリンを入れに行ったら、
スタンドは閉鎖、
開いているところは長蛇の列。
(結局入れず。
家内にはなるべく電車バスを利用しようと言う)

スーパーに行けば、
パン、即席めん、牛乳など
必需品は品切れ。

お米が売り切れの店もあるとか。

家内に友達からあるメールが届いた。
それを僕に見せるのだ。

家内××「これ、読んでみて」

「何」

メールの内容××「政府があんな発表しているけど、本当は・・・・」

冷静に考えればデマとわかりそうなものだが、
いかにも不安を増徴させるようなメールだ?

「このようなメールは、絶対に他の人に転送してはダメだよ!」
僕は家内にはそう言った。

官房長官もそのようなメールが飛び交っていることを
記者会見の席で言っていた(心配していた)。

食料品や、ガゾリン、即席めん、トイレットパーパーなどが
商品棚からなくなる事態も、
そのようなメール(扇動)に惑わされたのだろうなァ。



シリーズ動物4   金魚
CIMG0539.jpg
昨年11月のこと。
お祭りの縁日行った時、
孫娘が金魚すくいで取ったものだ。
2匹をすくったところで紙が破れた。
3匹目はおまけだ。
ひと冬を過ごした今、
一匹しか生き残っていない。
一匹はどこかの猫に食べられてしまった。
2匹目はだんだん弱ってきてある日死んだ。
この冬の寒さのせいか?
つくばい(手水鉢)の中に入れっぱなしだった。
氷が張っていた朝もあったし。

高層ビルがしなるように揺れるのを見た!大地震の前兆か?一昨日はネットの接続がとてもノロかった。

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-12 Sat 22:40:15
  • 体験
★高層ビルがしなるように揺れるのを見た!

昨日はJR東京駅前の丸ビル内にある歯医者へ行くつもりで出かけた。
ところが、京浜東北線の電車が東京駅駅に入る手前100メートルで急ブレーキ。

昨日のあの巨大地震だ。

電車の連結部分のドア部分がガタガタなっている。
電車は左右に大きく揺れた。

窓からは丸の内の高層ビルが
しなるように揺れているのがよく分かる。

11.3.11地震 (33)11.3.11地震 (32)
上と下の写真を見比べる。同じところからシャッターを2回押し続けた。右側の窓やビルの角の線の幅が異なる。高層ビルでも建築方法によってなのか揺れ方が違うのである。ほとんど揺れているようには見えないものや、他のビルの揺れが終わっているのにいつまでも揺れ続けているビルなどがあった


11.3.11地震 (58)電車から降ろされて線路を歩いたのも始めてた


電車内にそのまま2時間缶詰、
それから線路を歩いて神田駅まで行った。

電車は全面ストップ。

帰るのを諦めて江東区の兄の家まで歩き
泊めてもらった。

地震発生以来、携帯電話は全く使えずだ。

街の公衆電話のみ繋がるようで、
我が家と兄の家(宿泊依頼)には何とか連絡がついた。

まあ、気の置けない兄弟同士、
兄嫁の料理に舌鼓を打ちながらの一杯となる。

11.3.12地震2 兄の作品(家)と倒れた灯篭 (9)兄が趣味でやっていたという焼き物。食器作りよりも他のものを焼いていたようだ。見ていて楽しい作品だった


兄嫁は余震で眠れなかったといいながら、
美味しい朝食も用意をしてくれた。

9時前には兄の家を出て帰宅へ。
上野にでたのだが、駅の前がすでに人であふれ、
構内にすら入れない。

仕方がない、御徒町まで戻った。

ホームで電車を待つこと40分、
運転再開間もない京浜東北線に乗れることができた。

そして、4時間以上かかって
やっと帰宅できた。

これでも、順調に帰れたほうではないのか?

我が家では、
庭の石灯籠が倒れていた。

部屋の中は箪笥の上に載せておいた物と、
本箱の上にあった雑誌、メモ、資料等が散乱。

部屋の中は片付けたが、
石灯籠はしばらく倒れたままにしておくことにした。

11.3.12地震2 兄の作品(家)と倒れた灯篭 (32)我が家の被害は石灯籠が倒れたこと。箪笥の上の物が落ちてきたこと。食器がいくつか割れたことぐらいだった


★大地震の前兆か?一昨日はネットの接続がノロかった

一昨日、 ブログがなかなか立ち上がらない。
こんなこと初めてだ。
とうとうこの日ブログの書き込みを諦めた。

昼間からそうだった。
2階のデスクトップは途中で固まって(画面が)しまった。

パソコンが壊れたと思い、
電気屋へ修理に来てくれるよう依頼してしまったほどだ。

それが昨日朝はなんともないように動く。

今、思えば何らかの電波障害が発生してのか?
もしかして、大地震の前兆だったのではないか?

11.3.10ブログ用 (13)一昨日は友人(某歴史ある有名グループの会員)の作品(油絵)の展示会があった

生活のペースが戻らない

★生活のペースが戻らない

生活のペースがまだ戻っていないようだ。
一日中、狭い家の中をうろうろしていて、
ちっともまとまらない。

今日はやっと1時間ばかり絵筆を持った。

昨日も3歳の孫娘と図書館へ行ったくらい。
長旅をして帰るとこんなものなのだろうか。

やっぱり、仕事をしていないからだろうなァ。
パジャマの上から衣服を羽織って過ごした。

そんなわけで、
デジカメのシャッターを一度も押さない日が二日続いた。

以下、先月2月20日のブログに
帰ってから掲載するとした写真。

11.2.18-22バンコクとスパンブリー (38)
パットナームのタラート(市場)
水揚げする漁船が着く港と隣接していて、活気のある市場。魚市場は大きくて種類も豊富。すっかり慣れて往復はバスを使う


11.2.18-22バンコクとスパンブリー (112)
ワット(寺の意)パイローンウァにはお化け(亡者)が沢山います。敬虔な仏教徒の国、しかも人々がお化けの存在を信じている国ですから、ただ並べている訳ではないようです。トゥクトゥクの運転手さんが何か説明してくれましたがよく分かりませんでした


11.2.18-22バンコクとスパンブリー (150)
100年を迎えるサムチュック市場。古い木造家屋が建ち並ぶ街に路地両サイドがお店です。観光地としてもすっかり有名になって、全国から、買物や見物にお客さんが来るそうです。もちろん海外からの観光客も来きています


11.2.18-22バンコクとスパンブリー (216)
あこがれのリゾート・ヴァンチュワック。湖を囲んでコテージが並び、遊園地、動物園、水族館、ワニ園などがあり一日中楽しめます。休日には多くの家族連れで賑わうとのことでした


11.2.18-22バンコクとスパンブリー (223)
水牛園です。お金持ちの屋敷か牧場だったのでしょうか。園内のとても立派な庭も見ものです。水牛たちはショーも行います。舞台を囲んでの半円形の座席は満員でした


11.2.18-22バンコクとスパンブリー (248)
運転兼案内ガイドをしてくれたトゥクトゥクと運転手。往復130キロぐらい乗ったと思う。往復130キロは走ったと思うけど・・。料金800バーツ(約2240円)にチップ200バーツ(560円)あげたらとても喜んでいたなァ



★その他、四枚の写真

11.2.25-27ルアンパバーン? (201)
滝を見ての帰り、モン族(山岳民族)の村で楽器を制作販売していおじさん。手本に演奏をしてくれた。いちばん小さいのを50000キット(約525円)で買ったが、リュックに入れるとき、すでに玄が外れて壊れてしまった
(ラオス)

11.2.25-27ルアンパバーン? (215)
世界遺産ルアンパバーンで最も美しいとされるワット・シェントーン。堂内で30分ほど座って休んだ。いい時間を過ごしたという思いだった


11.2.28-2パクセー?ワットポーほか (16)
ラオスのもう一つの世界遺産パクセーにあるワット・プーです。小高い山の中腹に遺跡の中心となる寺院が隠れています。遺跡は現在修復中ですが、その指導をしているのは欧米人だそうです


11.2.28-2パクセー?ワットポーほか (299)
建造中のお寺。パクセーのメコン川沿い(市街の対面)にある山の上に建造中のお寺があった。本堂や僧院など、大きな建物が作られている傍らで、仏像をセメントで作っている仏師(?)5,6人が作業をしていた

ラオスとバンコク“心のカット”集

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-08 Tue 22:53:39
  • 体験
今朝、10時頃には帰宅した。
今回、撮った写真データをパソコンに移すだけで、
3時間以上もかかってしまった。

音の録音も6,7時間はあるので、
こちらのほうもCDにして残しておきたいと
思っているのだがいつのことに・・・。

写真の中から“心のカット”として
とりあえず8枚選んだ。

11.2.3-7二再びバンコク,カオサンほか (273)
運河に張り出した家の下にワニが2匹。どうやら住み着いているようだ。バンコク


11.2.3-7二再びバンコク,カオサンほか (349)
ワットアルンの夕陽は何度か挑戦しているのだが、今回も船に乗る時間が少し早かった。バンコク


11.2.25-27ルアンパバーン① (57)
ビエンチャンからルアパバーンへはバス。景色が良く昼間の旅にして良かった。ラオス


11.2.28-2ぱくせー① (71)
アドレス交換をした若いお坊さん2人。ラオス


11.2.28-2パクセー②ワットポーほか (116)
桟橋かと思ったら船(カーフェリー)だった。ラオス


11.2.28-2パクセー②ワットポーほか (338)
街中で声を掛けられたトゥクトゥクのおじさん。あとで、ビールをおごることになる。ラオス


11.2.28-2パクセー②ワットポーほか (385)
出発時間を待つ間に食べたおやつ。お菓子とも違うのは筒(竹?)の中はもち米を蒸したものだから。ラオス


11.2.23-24ビエンチャン (26)
美しかったビエンチャンの古寺。ラオス


カオサンの運河にワニがいた。知り合いのオフィスで油売り

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-07 Mon 20:19:21
  • 体験
★カオサンの運河にワニがいた

再びカオサンを散策した。
ここは世界のバックパッカーたちのメッカと言われる。

先日は表通りをさっと見ただけであったが、
今日は時間もあったので、かなりの範囲を歩いた。

チャオプラヤー川につながる幅10メートルくらいの運河に
何と、ワニがいるではないか。

ちっと入り組んだところ、
川の上が住居になっているところなのだが、
2匹のワニがいる。

どう見てもそこに住んでいるようにに見えた。

ワニではないが、
カオサンには
日本人の若者の姿も見られる。

バックパッカー用の
安い宿がひしめき合っているのだろうが、
それ以上に街の雰囲気がリゾートのようだ。

道路ににせり出たテーブルでビールを飲んだり、
通る人を見ながらマッサージを受けたり・・・。
このような雰囲気が欧米人たちはすきなのだと思う。

レストラン(食事)や飲み物まで、
宿賃のように安いだろうか?
いつか調べてみよう。

幾つかの寺もみたが、
カオサンの寺はどこも
建物に一部、中国様式が取り入れられているように見えたが、
チャイナタウンも近い場所であるし、
何となく分かるような気がした。


★知り合いのオフィスで油売り

午前中、友人と打ち合わせの後、
知り合いのオフィスへ油売りに行った。

バンコクへ来て40年近く旅行業を営む人のオフィスだ。
日本人スタッフもいて、
話は弾む。
あっという間に1時間以上。

今は駐在日本人の
日本への一時帰国のシーズンで
とても忙しいらしい。

油売りも長くなると嫌われるので、
そこそこで失礼した。


★今日の夜便で発ち、明日の朝の帰国

これから食事をして、空港へ向かう。

“(困ったときは)お互い様じゃないか”。いろいろなの録音を楽しみ、民謡の練習もした

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-07 Mon 01:50:48
  • 体験
★いくつか店の価格を比較して買ったメモリーカード

デジカメ用のメモリーをもう少し買うため、
再びペンティット・プラザへ行った。

前回と違い、
すでに10時半を回っていたし、
今日は日曜日ということもあって、
店内は全開、お客さんもいっぱいだ。

何度(在タイ中も含めれば6,7回)も来ているので、
今回はプラザ内の幾つかの店を
比較して購入してみることにした。

何と、同じ2ギガの品物で、
店によって30バーツ(約80円)ほどの違いがあることが分かった。
一枚175バーツ(約500円)で2枚購入した。
前回より高いか安いか忘れたが、
何となくナットクした買い物であった。


★押し合いへし合い10メートル進むのに10分を要した

ペンティット・プラザの
近くに大きなマーケットがあると聞いていたので、
そのまま探索となった。

バンコク一高い建物、BAIYOKE SKYHOTELの
付近一帯がそうらしい。

BAIYOKE SKYHOTELに突き当たる真っ直ぐの道が
メインのマーケット通り。

途中から道が細くなっている上に、
歩く人の数、そして密度もぐっと増えてきた。

4,5人が並んで歩けるぐらいの幅しかない道路なのに、
そこに両サイドから屋台が張り出していて、
前に進まなくなってしまった。

ぎゅうぎゅうである。
タダでさえ暑いのに
汗ばんだ人の腕や肩に触れる。

だいいち、
こんなぎゅうぎゅうで、
両サイドの店に立ち止まるなんてことはできなし
この状態で、ものの売買なんてできるはずないのだ。

これで、何か起きたら大変なことになると思った。
パニックになって、
押しつぶされる人が出ること間違いない。

わずか10メートルのその向こうは、
2車線はある道路が広がっているのに・・。

その10メートルを抜けるのに
押し合いへし合い10分はかかった。

でも、これもタイらしいことなのだ。

どんなに通行の邪魔になっても、
平気で屋台は立つし、
地べたに敷物を敷いて物を売っていたりする。

誰も文句を言わないし、
かえって店の邪魔にならないよう
気を使うくらいなのだ。

こうしたことに出会って、
いつも思うのは、
この国の人々の心の寛容さと優しさだ。

“(困ったときは)お互い様じゃないか”

そんな気持ちのあらわれではないのだろうか・・・と思うのだ。

最もにぎやかな街の一画にあるということや、
土日だけのチャドチャックと違って
こちらは毎日開かれている(営業してりる)。

そんな理由からか、
チャドチャックと並ぶ人気マーケットなのだと、
今回一緒に来ているタイ通の友人が教えてくれた。


★クレッタ島は小さいのに名物、名産品がたくさん

クレット島は
チャオプラヤー川にある島(中州)である。

どう行けばいいのか
あらかじめネットで調べておいたのだが、
思った以上に遠かった。

ネットで調べた内容に沿って、
アヌサワリーというBTS(高架電車)の駅から
タクシーで行ったのだが
高速道路代が50バーツ(140円)、
運賃が190バーツ(約530円)もかかってしまった。

タイはタクシー代が安いので、
金額はたいしたことないように思うが、
200バーツ(560円)近くかかるというのは
少なくと20キロ以上の距離はあると見てよい。

クレッタ島へは船で渡る。
これは安い。
わずか2バーツ(6円未満)だ。

島は周囲を幅が2メートルもないほどの
細いコンクリートの道路が通っている。

左回りで回ると
前半はお土産屋がびっしりと並んでいいて、
とてもにぎわっている。

クレット島は小さいのに
名物・名産品などがたくさんある。

お菓子、てんぷら、焼き物(素焼き)、お寺、
グルメ(旨いレストランがあるらしい)などなど。
ほかにまだ何かあるかも知れない。

そんなわけで、
休日ともなれば多くの人々でにぎわう。
外国からの観光客は比較的少ないようだ。

お土産屋さん街を抜けると、
お寺があり、その先はほとんど田舎状態となる。
以前、来たときは歩いて一周しようとしたが、
暑さと距離が思ったより長かったとで、
途中で挫折、
バイクタクシーで残りを回った。

今回ははじめからバイクタクシーを
利用して残りを走った(回った)。


★帰りの交通機関(手段)を楽しむ

船着場からバスのタクシーの通る大通りまでは500メートルほど。
そこまでサムロー(三輪自転車)が走っている。
何となく懐かしさがあって
サムローは見るのも乗るのも好きだ。

20バーツ(56円)の料金に20バーツのチップを渡したら、
おじさんは本当に幸せそうな笑顔で喜んでくれた。

さて帰りは何としても直接タクシーで帰りたくはなった。
こで、何とか地下鉄の駅に行くバスを見つけ、
それに乗った。

来ると時は230バーツ(670円)もかかったところが、
帰りは約10分の一ほどだ。

ところで、
地下鉄は高齢者サービスがあることが先日分かった。
切符を買う窓口で年齢を聞かれ、
割引をしてくれたのだ。

今日は始めから年齢を伝えた。
多分5割引きか、それ近くは割引になっていたと思う。

ということで、
今日もよく歩いた。

歩いたぞー。


★いろいろなの録音を楽しみ、民謡の練習もした

いよいよ、今日の夜帰国となった。
今回もラオスと、タイでさまざまな音を録音した。

機内放送、
バイクタクシー、
繁華街の喧騒、
路上の演奏、
レストランの生演奏、
運河の船、
トゥクトゥクの走る音、
バスの車内、
葬式の合奏、
法事?のお経(華僑)、
マーケット
ナイトクラブ
・・・・。

メモリーコーダー(録音機)を持って来ている理由は他にもある。
この際、空いた時間(耳)で民謡を一曲覚えてしまおうという作戦だ。
前回は“十三の砂山”を練習した。
今回は“新タント節”だ。

初日、
こちらに向かう成田行きのバスの中から
イヤホンを耳に当てて練習を始めた。

覚えるまで(かどうか?)何度聞き、
何度歌っただろうか。
機内、
メコン川の川原、
ビエンチャンの町を歩きながら、
ルアンパバーンのお寺、
ホテルの部屋、
電車、バスの中、
・・・・行く先々でイヤホンを耳に鼻歌だ。

民謡はどの曲も必ずややこしい節回しのところがあって
僕みたいな生来の音感の悪い人間は
覚えるのにとても苦労する。
(すぐ忘れるし・・。)

成果はいかに?
民謡の練習で結果が出る。

ということで、
どこにいても退屈することなく
旅を終えることができた。










今日は歩いて歩いて、見て回って見て回ってのダブル

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-05 Sat 18:40:37
  • 体験
★コンベンションセンターへタイ国内向け旅行博覧会へ行く


旅行業を営む友人(社長)が
コンベンションセンター(国際展示場)で行われている、
旅行博覧会に行くというので、
一緒についていった。

僕がラオスへ行っている間に行われていたのが、
“世界旅行博覧会”で、これは世界中の国から
タイの人たちに観光に来てほしいとのお誘い展示イベント。

今日のはタイの国内の人たちへの
海外、国内への観光お誘い展示イベントで、
出店業者はタイ(バンコク)国内の旅行業者。

海外向けの旅行業者の中には、
日本へお客さんを送り込むところもあるわけだ。

そうした旅行業者から送り込まれるお客さんを
日本で受け入れる仕事をする業者もあるわけで、
僕の友人はその仲介役といったところか。

今日の展示会はとても興味(役立った)があったようで、
カタログなどをたくさん受け取っていた。

アジアでは日本と韓国、中国の観光が人気のようで、
出店業者も多い。

ほかに、リゾート、エステ(スパ)など、
別なイベント(同じような博覧会)も行われていて、
広い会場もいっぱいに賑わっていた。

ひと休みもしないのに、
友人から午後は
チャドチャック(ウイークエンドマーケット)に行こうとの
お誘いを受けてしまった。


★チャドチャックは珍しいものも売っている人気の市場

ウイークエンド・マーケットとも呼ばれる
土・日だけ開かれる市場だ。

小さな店がぎっしりと並び、
細い路地は\迷路のようになって、
一度屋内(屋根の下)入り込むと迷ってしまうことも。

店の数は10000軒、
生鮮食品以外は何でもあると言われている。

まとめて買いに来る業者もいるらしい。
それは値段も安いということにほかならないだろう。

もちろん観光客にも大人気で、
土・日はタイ人のほか、
世界中からの人たちであふれる。

生鮮食品はないが、
生きた動物達を売る店もあり、
毒蛇や珍しい熱帯魚など見て回るだけでも
楽しくなる市場なのだ。

友人はズボン、財布、帽子を買った。
僕も財布と箸を買った。
やっぱり安いし、多くの中から選べるし、
・・・・で、ついつい時間を忘れる。

昼食時間も含めると3時間以上もいたことになる。

結局、今日は歩いて歩いて、
見て回って見て回ってのダブル。

イヤー、疲れたァ。

バイクタクシーと運河の船で行った旅行代理店。こんなこじゃれたレストランがあるとは知らなかったなァ

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-04 Fri 21:49:28
  • 体験
★バイクタクシーと運河の船で行った旅行代理店

取引先の会社への営業に同行した。
午前中に行ったのは、
ちょっと離れた日本への主に留学生対象の旅行代理店。

今回、友人の会社が依頼されたのは、
数組の家族旅行の日本側受け入れの見積もりだ。

先方の方は日本語が大変に上手。
僕の早口よりも分かりやすいかもしれない。

日本にも留学の経験があるというが、
発音、アクセントともに日本人と変わらない。

この旅行代理店へ行くのに利用した交通機関が面白い。
まず、ホテル前からバイクタクシーで
近くの運河を航行する船着場まで行った。

バイクタクシーとは
オートバイの後ろに乗る交通機関で、
拠点から拠点への利用距離が比較的短いところに
利用しているようだ。

バイクの溜まり場が随所(適所)にあって、
市民が、バス同様に身近な交通機関として利用している。

ただし、
運転手はヘルメットを被るが、
客はほとんど被せてもらえない。

それなのに、道路の真ん中を
渋滞している車の間をすいすいとすり抜けていく。

怖いと思ったら乗れるものではないが、
急いでいるときとか、
他に交通手段がない場所などにとても便利だ。

料金は距離に応じて10~40バーツ(28~112円)。
今回は20バーツ。

さて、船着場からはもちろん船で行く。
大型のスピードボートのような船だ。

幅が20メートルほどの運河を
白波を立てて、猛烈(と思える)スピードで航行する。
これが豪快。

いまや、運河が減ってしまったので、
ここの船の運河ルート交通手段はバンコクの名物にもなっている。

ただ、船着場への行き方が難しい。
それに行き先を告げねばならないので、
船着場の名前と場所が分からなければ
降りる場所が告げられず、
したがって、乗るのもままならないのだ。

当然、運河沿いなので、
船着場まではバイクタクシーか
トゥクトゥク出行くような場所が多い。

普通、日本人がいきなり観光気分で乗りたいと思っても
なかなか難しいのはそのような理由からだ。

バンコクに駐在している人でも。
よほど熟知した人でないと、
乗った経験のある人は少ないのではないか。

僕だって、
タイに精通している旅行業を営む友人に
ついて行っているから出来ることであって、
これまでも運河の船に一人で乗ったことはない。

目的の船着場までは
15分ほどで着いた。
これが15バーツ(42円)。
前回乗った時より随分割安に思ったが・・。

さて、着いた船着場からは
またまたバイクタクシーだ。
今度は長い。
10分以上は乗っただろう。
しかも、大渋滞の間をすり抜けていく。

並んでいる車と膝が接触するくらいに近い。
両手でしっかりと座席の端を掴んでないと、
振り落とされてしまう危険もある。

で、友人の仕事だが、
今日中に見積もりを提出しなくてはならないらしい。

夕方、ホテルに戻ったら
部屋に閉じこもりでパソコンに向かうと言っていた。


★こんなこじゃれたレストランがあるとは知らなかったなァ

2件目は日本の大手旅行代理店のバンコク支店だ。
ちょうど、昼時だったのでまず昼食になった。

フランス大使館の中にある
レストランで食べることになった。

僕が2年ほど通ったオフィスから、
それほど遠くもない。

この大使館付近にも日本企業は多くあり、
何度も営業に歩いた場所だが、
誰でも食べれる
こんなこじゃれたレストランがあるとは知らなかったなァ。

支店長とは情報交換を主に1時間ほど話した。
と言っても、
僕はうんうんと頷いていただけだが・・。


★3件目はラオスでのバックアパッカー体験報告も・・

3件目は、僕が勤めていた会社のオフィスだ。
友人の会社はこの会社とも取引がある。

この会社の社長とは僕自身付き合いも長く、
友だち付き合いはまだ続いている。

で、仕事の話を終えた後の、
僕はラオスのバックパッカー報告をした。

ブログには書けなかった
抱腹絶倒の話もあり、
あっという間に時間がたった。

旅先で友と会い話し合うには、
事務的なメール交換などとは違って、
血が通っているような気がする。

できれば、できるだけ
人に会って目を見て話したい。
大切なことではないだろうか。

情報の交換はパソコンでもできるが、
笑顔の交換は?

そうか・・スカイプでできるなァ。
(僕はスカイプやってないけど・・)


★スーツがやっと役立った

今回、友人の仕事にお付き合いするつもりでいたので、
上着(ブレザー)を持ってきていたのだが、
僕の行動が、突然のバックパッカー体験になってしまったので、
上着の出番がなかった。

きょう、やっとそれがが役に立ったので、
少しほっとしている。









ホテルはとても良かったけれど、最後にあった2つの出来事。今日はバンコクへの移動日

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-03 Thu 22:41:56
  • 体験
★今日はバンコクへの移動日。合計6時間の出発待ち

今日はラオスからバンコクへの移動日。
昨夜、夕食を一緒にしたお嬢さんたち二人と朝食。
旅ってこんなのがいいのですよ。

昨日までまったく知らなかった同士が、
食事をしながら会話を楽しむことが出来るんですから・・。
(楽しんでいるのはお前だけだ、二人は迷惑しているなんて
声も聞こえてきそう)。

でも、今日の朝食のメニューはとても良かった。
というのは、タイからの団体客が入って、
レストランにはバイキング形式で
料理が何種類も並んでいたのだ。

僕の好きなカオトム(おかゆ)や
果物も食べ放題だった。
(実際はお喋りに夢中でした)

こんなの、今回の旅行で初めてだった。

二人は、今日カンボジアへ移動するのだとか。
僕は、ビエンチャン経由でバンコクだ。

空港での待ち時間が、
ビエンチャンでは3時間半もあり、
パクセーでの2時間半も合わせると
6時間の出発時間待ち。

バックパッカーも、ベテランになれば
空港にはぎりぎりに来るとかで、
もっと賢い行動をするだろうなァ。


★ホテルはとても良かったけれど、最後にあった2つの出来事

その1、部屋の鍵が、内側からロックして閉めても、
外から開いてしまうこと

その2、ホテルから頼んだ空港へ行く車の(トゥクトゥク)運転手が
ものすごいボッタクリをしたこと


昔、王宮の建物だったというホテルは、
部屋も廊下も庭もテラスも広々。
柱や壁面にも装飾がある。

2日目、外出時にドアを内側からロックして閉めたのに、
観音開きのドアの合わせめに隙間があり、
どうも不安なので、
2,3度ノブを回してみたところ、
何とドアが開いてしまったのだ。

その時以来、
外出時にはパスポートなど
大切なものは持って歩いた。

チェックアウトの時に、
カウンターの人に伝えたが、
理解してくれたかどうかは分からない。


昨日のトゥクトゥクのおじさんに
空港まで送ってもらうよう
予約してあるからいいと
身振り手振りを加えて説明したのに、
結局、通じなくて、
ホテル差し回しのトゥク(軽トラ)が来てしまった。

仕方がない、
昨日のトゥクトゥクのおじさんには悪いが、
軽トラトゥクトゥク二乗って空港へ向かったのだ。

(そんなに急ぐことはなかったのに・・・
と、後で反省したりして)

空港へつくと、
運ちゃんが空港内の建物(ターミナル)の入り口まで行かず、
路上で僕を下ろすのだ。
それは車の出口と案内されている場所だ。

建物とは目と鼻の先なので、
歩いてもどうってことはないが、
そこで下ろされること自体おかしいと思わなければいけないのに・・。

「いくら?」
と聞けば、つぶやくような小さな声で
100000キップ(約1050円)と答えた。

キップ紙幣はラオス国内以外では
まったく換金が出来ないので、
持って帰っても仕方がないと言うことが頭にあったので、
言われるとおりに渡してしまったが、
やっぱりあとで、反省してしまった。

なぜ、入り口まで車を回さないのか?
10万キップは高いと抗議すべきであり、
正当な値段(半額くらい)に負けさせるべきであった。

まァ、いろいろあるのが旅だし、
大きなお金をだまされたわけではないので
それはいいのだが・・・。

そんな二つ出来事があったのだ。














美女二人と元教授でラオス最後の晩餐。メコン川を歩いて渡る。奴派手なリュックを買う

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-02 Wed 18:50:07
  • 体験
★今日は一日、町の中をうろつくことにした

ホテルを出るとすぐにトゥクトゥクに呼び止められた。
歩いて行きたかったのに・・・。

で、まずラオス一の規模という市場(タラート)に行く。
確かに町の規模に似合わぬ大きさだ。

郊外の各方向へ向かうソンテオ(四輪乗り合い自動車)の
ターミナルにもなっていて、買出しの人々とで、
場内はごった返し状態だ。

売る人、買う人、たくさんの店、商品・・・、
見て回るだけでも面白い。
ソンテオで買出しに来た人たちは、
たくさんの品々と一緒に、
またソンテオに乗って帰って行く。

何十キロも先の集落で、
商いでもしているのだろうか。
そんなことを想像しながら見て回る。

中央の大きな建物内は、
衣類、雑貨など。
生鮮食品以外を売っているお店ばかりだ。

中国系の人の店と
すぐにわかる金行が軒を連ねている。
これって市場内にあるお店かァ?
ふつう通りに面したところにあると思うがなァ。


★奴派手なリュックを買う

市場内をうろうろして、
目に付いたのがピンク色の奴派手なリュック。
ただの白い袋に、
水とか本、ホテルの手ぬぐいなどを入れて
担いでいたが、リュックのほうがいい。

帽子はルアンパバーンに忘れてきてしまったので。
これも買いたかった。

合わせて1000円ほどだった。
すっかり変な格好の
バックパッカーになってしまっている。

魚売り場を出たところで、
またまたトゥクトゥクのおじさんに声をかけられる。
どこかへ案内するから乗って行けという。

日本の援助で作られたという
ラオス日本大橋を
歩いて渡りたかったので、
橋を渡りきったところまで、
乗って行くことにした。

ところが、着いた場所で待っているから、
また帰りに乗れという。

橋の向こう側のたもとには
小高い山があって、
建設中のお寺があった。

30分待つから
登って見て来いというのだ。
で、そうした。

250段ばかりの急な階段を登ると
作りかけの仏像や建物があった。

きっと、ルアンパバーンのような
山を名所にして人(観光客)を集めたいんだろうなァ。

そうなふうに思えるほど、
条件が似ている。


★メコン川を歩いて渡る

橋の長さが1380メートル。
これは多分この場所の川幅と同じと考えていいだろう。
これを歩いて渡りたかった。

トゥクトゥクのおじさんを、
向こう岸へ渡りきった
橋のふもとで待ってもらった。

長い橋を歩いたが
すれ違った人は一人だけだった。

川風が気持ちいい。
荷物と人を満載したトゥクトゥクが
何台か通り過ぎた。

リヤカーを押しながら
(引くのではなく後ろから押す)
車道の端を歩く典型的なラオス婦人たち。

メコンの流れを眼下に眺めながら
20分間散歩は、
充分にラオスを味あわせてくれた。


★トゥクトゥクのおじさんにビールをおごる

いったんホテルに戻り
休憩をした後、
午後3時過ぎから再び散歩に出た。

メコン川の川岸には観光客向けの
レストランが並ぶ。

川岸でしばらく眺めていると
なんと、あのトゥクトゥクのおじさんが
声をかけてきた。

ピンクのリュックで
すぐに僕とわかったのだろう。
再び、どこかへ案内するという。

「僕は歩きたいんだ」

おじさんも食い下がる。
そのうち、ビールが飲みたいと言い出した。

このあたりは高いから
別な店に行っておごることにした。

まァ、トゥクトゥクのおじさんと
昼間から一杯やるのも悪くないと思ったのだ。

「店に行くまでのトゥクトゥク代はタダだぞ」

そう言ってはおいたのだが・・・。
おじさんは旨そうにビール1本を飲みほした。
おなかも減っていたか、
目玉焼きも、
僕の頼んだチャーハンも
半分食べてしまった。

「お勘定をお願い」

おばさんに告げると
トゥクトゥクのおじさんが
早口のラオス語で、

「#〇$д」。

おばさんの請求額は34000キップ(約360円)。
この店でビールとチャーハン、
それに目玉焼き2個ではちょと高いなァ。

トゥクトゥクのおじさんが
おばさんに早口で言ったのは、

「トゥクトゥクの代金10000キップ(約105円)を
乗せるように」かな?多分。


★美女二人と元教授でラオス最後の晩餐

昨日、滝を見に行った際、
昼食のレストランで、
隣り合わせになったお二人の美女と、
午後の散歩の出掛けにバッタリ。

昨日はオプショナルで
メコンの中州の島に泊まったとかで、
帰ってきたところらしい。

そのとき
おじさん(僕は)
すかさず、抜け目なく
夕食を誘ったのだ。

別なホテルにいる元教授にも連絡、
モチ、異論はない、

で、4人で高級レストランならぬ、
ラオス人相手の飯屋に行った。
しかも、ホテルからいちばん近い。

何しろ、元教授も僕も
バックパッカーなのだから
それにふさわしい店にしたのだ。

二人の美女は
一人はOL、
一人は大学院生で教育者を目指している。

どちらも、しっかりしている。
今回の旅行も目的を持って来たらしい。

なのによくぞ、おじさんたち二人の退屈な話しに、
2時間近くも付き合ってくれたものだ。

二人は明日はカンボジアへ、
元教授はあと一日パクセー滞在、
そして僕はバンコクへ戻る。

知らない同士が
人生のほんの一瞬だけあって
また散る。

その一瞬が一生の思い出になる。
それがこうした旅の面白さ、良さなのかも。





ラオスの世界遺産の目玉?ワット・プーは現在修復中。フェリーに感動!桟橋かと思ったら、それが・・

  • Posted by: ゴロー
  • 2011-03-01 Tue 22:19:17
  • 体験
★ラオスの世界遺産の目玉?ワット・プーは現在修復中

破壊がすざましい?遺跡だ。

現在、修復をしているようだが、
どこまで、修復するか、
あるいは観光客を呼ぶためのインフラはどこまで行うべきか、
予算のこともあるしなァ、
など、余計なことまで考えてしまった。

観光客が押し寄せれば
どれも自然に解決していくのだろうけど・・。

もし、世界遺産になっていなければ、
せめて、国立公園ぐらいであるなら、
ほんとうに静かないい場所だったろうに・・
(今でも充分静かではあるが・・)。

世界遺産になったから
多くの人に知られ、観光に来てくれる
それが重要だし、事実だし、
僕だってそれで行ったんだから、
何だか矛盾しているけど。

遺跡なんだから
やっぱこれでいいのかなァ。


★フェリーに感動!桟橋かと思ったら、それが・・

車で移動中に通過する集落の
高床式の家やその下で遊ぶ子供たちの姿を見ると、
この国・民族の風俗習慣を含めて
世界遺産にしたらどうだと思いたくなるほどだ。

ワット・プーからコンパペンの滝を
見に行く移動中、
メコン川をフェリーで渡るという。

フェリー乗り場についたのだが、
それらしきフェリーの姿は見えない。

桟橋に車を移動させているのかと思いきや、
何とその桟橋に見えた(思った)のが
フェリー(船)だったのだ。

運転席らしき場所には
鉄板一枚の座席と、
鉄のパイプを利用した舵、
ブレーキ?アクセル?何だか分からないけど、
自動車からの転用?

でも、これが本当にフェリーの操舵室(場所)?
まさか、冗談かと思ったら、
本当にその席に座って船長と思しき人が
操縦を始めたのだ。

操舵場(室ではない)の甲板は
鉄板を荒々しく溶接して張り合わせたもの。

フェリーそのものも、
3艘の鉄板船をつなぎ合わせ、
甲板に板を敷いたもので、
その板もすのこのように間が空いている。

その上に小型バスと、
16人乗りのボックスカー5台、
人は合わせて20人ぐらいはいただろうか。

車、乗客を乗せると、
船はエンジン音も軽やかに
水面をすべるように動き出したのだ。

対岸に到着。
接岸は横付けだ。
フェリーは横腹に渡し板が取り付けられてあり、
フェリーの右横腹から車を載せて
左横腹から降ろすという方法なのだ。

人の知恵ってすごいと思った。
国が貧しくたって、国民総生産なんて低くたって
人は知恵を絞りなんでも解決してしまうんだと思った。

赤錆色の鉄板(船先)が
わずかな白波を立ててメコンの水を切る。

僕は何だか、
メコンの流れが急に身近に
いとおしく思えてきた。

今回のラオス旅行で初めての感動だァ。
このフェリー体験だけでも
ラオスに来た甲斐はある?
世界遺産に残したい?

ちょっと、オーバーだけど、
僕はこんなの大好きだ!


★メコンの流れを一気に落とすコンパインの滝

パクセーの町から160キロも離れているらしい。
僕は、途中の景色を見るのが好きなので、
ぜんぜん退屈しない。

それにしても、
その間、集落といっても何キロ、
ところによっては十数キロごとにしかも集落がなく、
森や林、牧場、草地、荒地・・が延々だ。

こんなに少ない人々(日本の国土の約4分の3の広さで人口600万人)で、
この広大な土地をどのように利用(使用)しているのだろうか?

ごく自然で、牧歌的な風景がどこまでも続く道を右に折れると、
すぐにコンパインの滝はあった。

落差は15メートルらしい。
激しくかつ美しい。

メコンの流れを一気に落としている滝だ。







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